「経験することそのものに価値があった」
我々に大きな強みはない。
だから、小さな強みを編んで
ロープにしなければならない。
「1分間ジェフ・ベゾス」西村克己
昨年の富士講
アンケート、第2弾!は、
今年の<富士講>は昨年より1日減らしているから
約40kmほど距離が短くなっている。
「一日目は歩かなくても良かったね」が、参加者の感想。
地元の新聞にも取り上げられた。
「富士講」
2014年8月12日から18日までの1週間。
東京世田谷にある扶桑教太祠を出発し、
富士山まで歩き、そのまま登頂するという「富士講」に参加した。
去年ぐらいから、何となく「富士山に登りたいな」と思っていたこともあり、
ちょうど良い機会だなと思い、参加することにした。
<8月12日(火)>
集合は12日の夜。当日は、会社を休みゆっくり準備するつもりだったのだが、
案の定、直前まで仕事が入り、ドンキホーテで急いで必要なものを揃える。
バタバタ感。
集まったのは、30~50代のいわゆる中年(壮年?)男性陣。
それぞれ何らかの思いを胸に秘めているような顔つき。
(その思いの一部は、旅のなかで明らかになっていくのだけれど)
そのまま、扶桑教太祠に移動。ご好意で、この日はここに泊めてもらえた。
安全祈願のお祈りをしてもらう。生まれて始めて神道の装束を身にまとう。
身の引き締まる思い。
<8月13日(水)>
翌朝早くから、富士山までの徒歩の道のりが始まった。
初日は、世田谷から高尾まで。ひたすらアスファルトの道を歩く。
振り返ると、ある意味この日が一番辛かった気がする。
体力はまだあるが、アスファルトというのは意外に足にくる。
世間話を挟みつつも、基本的には、黙々と歩く。
一歩、一歩、一歩、一歩。先は長いが不思議と不安も焦りもない。
<8月14日(木)>
二日目、高尾から山梨県の君恋温泉まで。
雨にも降られ、足の古傷も痛みだす。
グループで歩いているようで、一人であるく。
一人で歩いているようで、グループであるく。
途中の山道で木の棒を拾った。
杖にして山道を登る。この旅の相棒になった。
<8月15日(金)>
三日目、富士山の麓まで歩く。
富士山が見えた。遠い。大きい。
意外と高揚感はなく、さりとてテンションが落ちているわけでもない。
富士山に向かっているのだけれど、足元の一歩にしか興味がない。
この日は、サポート・カーがついてくれた。ありがたかった。
<8月16日(土)>
四日目、富士山の五合目まで登る。
緑に囲まれて山道を登る。山道の方が足にはやさしい。
登山道に入る前のお祓い。お菓子をいただいた。
宮司さん。ありがとうございました。
途中の山小屋で麦茶を振舞ってもらった。
富士吉田市の職員さん。ありがとうございました。
<8月17日(金)>
五日目、富士山の山頂まで登る日。
高山病にならないように、呼吸を深くする。
朝、雲海を眼下に、太陽が昇るのを眺める。
昼、天頂の太陽をぐるりと虹が囲む
山頂の神社では、結婚式。
目の前にありながら、どこか遠い風景のように見えた。
心象風景のような現実。
<8月18日(土)>
六日目、下山・帰京の日。
ダブルレインボー、虹の根っこをみた。
下山道は楽しかった。やたらと楽しかった。
ただ、この日は、迷惑をかけた。反省。とても反省
温泉に入り、帰京はバス。
6日の距離が一瞬で縮まる。
日常とはそういうことのように思えた。
圧縮された時間を飲み込んでいくうちに、
心は整えられる間もなく塊になっていくのではと。
<「富士講」を終えて>
この旅では、人の親切さにも、美しい風景にも、幸せな光景にも、神聖な文化に
も出会うことができました。
仲間でいることの楽しさや苦しさを乗り越える達成感を感じることもできました。
それらは、一つ一つ素晴らしい価値ある経験だったと思います。
ただ、自分にとって、それ以上に価値のあったことは、
この旅が、足の痛みとともに一歩、一歩を積み重ねていくことで、
自分自身を解きほぐす行為だったことのような気がします。
そのことは、自分にとって、とてもとても重要なことでした。
変な表現に聞こえるかもしれませんが、
「富士講」では、
経験することから得られる感動以上に、
経験することそのものに価値があったように思います。
もしかしたら「歩く」ということは、
どこかにたどり着くこと以上の意味を持っているのかもしれません。
<余談>
旅が始まる前、ちょっとしたダイエットになるかな、と思っていました。
ところが、旅が終わった日に、体重を測ると、なんと3kg増!!
ただ後日、体脂肪率が落ちて、筋肉量があがっていたことがわかりました。
富士講のあと、眠っていた筋肉が起きたような感じで、 身体が動きやすくな
り、日常的な運動量が増えました。
結果、今は、少しずつ体重が減っています。 富士講、、ダイエットにも良いか
も。。
あきら
集まったのは、30~50代のいわゆる中年(壮年?)男性陣。
それぞれ何らかの思いを胸に秘めているような顔つき。
(その思いの一部は、旅のなかで明らかになっていくのだけれど)
そのまま、扶桑教太祠に移動。ご好意で、この日はここに泊めてもらえた。
安全祈願のお祈りをしてもらう。生まれて始めて神道の装束を身にまとう。
身の引き締まる思い。
<8月13日(水)>
翌朝早くから、富士山までの徒歩の道のりが始まった。
初日は、世田谷から高尾まで。ひたすらアスファルトの道を歩く。
振り返ると、ある意味この日が一番辛かった気がする。
体力はまだあるが、アスファルトというのは意外に足にくる。
世間話を挟みつつも、基本的には、黙々と歩く。
一歩、一歩、一歩、一歩。先は長いが不思議と不安も焦りもない。
<8月14日(木)>
二日目、高尾から山梨県の君恋温泉まで。
雨にも降られ、足の古傷も痛みだす。
グループで歩いているようで、一人であるく。
一人で歩いているようで、グループであるく。
途中の山道で木の棒を拾った。
杖にして山道を登る。この旅の相棒になった。
<8月15日(金)>
三日目、富士山の麓まで歩く。
富士山が見えた。遠い。大きい。
意外と高揚感はなく、さりとてテンションが落ちているわけでもない。
富士山に向かっているのだけれど、足元の一歩にしか興味がない。
この日は、サポート・カーがついてくれた。ありがたかった。
<8月16日(土)>
四日目、富士山の五合目まで登る。
緑に囲まれて山道を登る。山道の方が足にはやさしい。
登山道に入る前のお祓い。お菓子をいただいた。
宮司さん。ありがとうございました。
途中の山小屋で麦茶を振舞ってもらった。
富士吉田市の職員さん。ありがとうございました。
<8月17日(金)>
五日目、富士山の山頂まで登る日。
高山病にならないように、呼吸を深くする。
朝、雲海を眼下に、太陽が昇るのを眺める。
昼、天頂の太陽をぐるりと虹が囲む
山頂の神社では、結婚式。
目の前にありながら、どこか遠い風景のように見えた。
心象風景のような現実。
<8月18日(土)>
六日目、下山・帰京の日。
ダブルレインボー、虹の根っこをみた。
下山道は楽しかった。やたらと楽しかった。
ただ、この日は、迷惑をかけた。反省。とても反省
温泉に入り、帰京はバス。
6日の距離が一瞬で縮まる。
日常とはそういうことのように思えた。
圧縮された時間を飲み込んでいくうちに、
心は整えられる間もなく塊になっていくのではと。
<「富士講」を終えて>
この旅では、人の親切さにも、美しい風景にも、幸せな光景にも、神聖な文化に
も出会うことができました。
仲間でいることの楽しさや苦しさを乗り越える達成感を感じることもできました。
それらは、一つ一つ素晴らしい価値ある経験だったと思います。
ただ、自分にとって、それ以上に価値のあったことは、
この旅が、足の痛みとともに一歩、一歩を積み重ねていくことで、
自分自身を解きほぐす行為だったことのような気がします。
そのことは、自分にとって、とてもとても重要なことでした。
変な表現に聞こえるかもしれませんが、
「富士講」では、
経験することから得られる感動以上に、
経験することそのものに価値があったように思います。
もしかしたら「歩く」ということは、
どこかにたどり着くこと以上の意味を持っているのかもしれません。
<余談>
旅が始まる前、ちょっとしたダイエットになるかな、と思っていました。
ところが、旅が終わった日に、体重を測ると、なんと3kg増!!
ただ後日、体脂肪率が落ちて、筋肉量があがっていたことがわかりました。
富士講のあと、眠っていた筋肉が起きたような感じで、 身体が動きやすくな
り、日常的な運動量が増えました。
結果、今は、少しずつ体重が減っています。 富士講、、ダイエットにも良いか
も。。
あきら

