「なぜ、英語を話そうとしないの?」
子供が夢を持てるかどうかは、
本人の「枯渇感」が影響すると思います
『ただ成功のためでなく』
渡邉美樹(著)ソフトバンククリエイティブ
15周年記念本、多国籍ツアー体験談の原稿が届いた。
この旅にスタッフとして同行するサポスタ
、“みゆき”からだ。
2008年、大学2年生。大学の授業も、飲み会ばかりのサークルも、変化のない毎日がただひたすら過ぎていくことがつまらなかった。刺激もなければ、素敵な(笑)出会いもない。夢にまで見たキラキラしたキャンパスライフ、「あれ、違うな?どこかで間違えたのかな。」と思っても、ただ自分の中で現実とのギャップにもがき苦しむだけだった。苦しめば苦しむほど自己嫌悪に陥った。
「自分を変えたい!」・・・・・・
(中略)
2009年1月。
初めて地球探検隊の扉を開いてから、あっという間に行き先も日程も決まって、航空券も手配してもらって…気が付いたら3月になってバックパックを背負ってオーストラリアへ向け出発。海外は何度も行っていたけれど、初めての一人旅と多国籍ツアー。飛び立つ前に友達がわざわざ電話してくれて、少し泣きそうになった。
たった2週間の旅、ホームシックどころか帰りたくなくて泣いた。英語も全然話せなかったし、ご飯食べるにも買い物するにも英語の壁にぶつかるし、何かアクションを起こすにもたくさんの勇気が必要だったし、トラブルも色々あった。それでも帰りたくないと思った。肌で感じたすべてが新鮮だった。多国籍ツアーに行くには普通の旅行よりもお金がかかるけれど、親にお金まで借りてでも行ってよかったと思うし。だから頑張ってバイトをして少しずつ親にお金を返しながら、また絶対に多国籍ツアーに参加すると心に決めていた。
2009年8月、次に行ったのがベトナム。夢にまで見たベトナム縦断の多国籍ツアー。正直予算も足りなくて、でも夢が叶うなら…とノリと勢いで決めた。お金を借りたいと言うと、親に嫌な顔をされたがあとでこっそり貸してくれた。
出発を決めてから1ヶ月も経たないうちに出発。時間もなかったから、自分で航空券を手配してビザを取るためにベトナム大使館にも行った。2度目の多国籍ツアー、ホーチミンのホテルで働く日本人の友達に、ツアーが始まる前に何日か一緒に観光した。その友達は英語が話せたから、たくさん助けてもらって、ツアー最初にある指定されたホテルに集まって顔合わせのミーティングも一緒に来てくれた。その日の夜もメンバーと友達も一緒にご飯を食べに行った(笑)しかも次の日の朝お見送りまで来てくれて、英語が全く話せない私のことをすごく心配してくれた。幸か不幸か、私以外のツアーメンバー5人全員が英語圏の出身で、ベトナム人のリーダーももちろん英語はペラペラだった。私はのん気にバスに乗り込んで友達に手を振った。バインミー(ベトナムのサンドイッチ)を食べながらバスに揺られ、本当の意味でのツアーがスタートした。
私が参加したのは、イントレピッドと言う多国籍ツアーの会社
の中でも、一番安いランクの「Basic」と言うツアーだ。ツアーに含まれているのは、ホテルとローカルな交通手段での移動のみで、その日その日のアクティビティに参加するかしないかは自分で選べる。つまり、ツアーを楽しめるかそうでないかは自分次第のツアー!「よし、みんなと仲良くなって最高の旅にするぞ!」と意気込んでいたものの、またぶつかった言葉の壁。私が日本人で英語が話せないとわかっているのかいないのか、容赦なく早口の英語で質問してくる。多少気を遣って「今の話わかった?」と聞いてくれることもあったが、わからなくても首を縦に振るしかなかった。そんな調子で15日間のツアーは続いた。
ツアーも終盤になってきたある日、夜ご飯食べながらツアーリーダーが「ヘイ、ジャパニーズガール!」と言って私に質問をした、「何故あなたは英語を話そうとしないのか?話さなければお互い理解もできないじゃないか。」と。私は答えられなかった。悔しくてホテルで泣いた。家に帰りたくなった。私は理解しようとしているけれど、他のメンバーが英語を話せない私に合わせてくれないからだ!少しだけれど自分から質問だってしているし、なんでこんなこと言われなきゃならないんだ!と思った。普通ならここで、自分を変えようと頑張って、当たって砕けても良いからメンバーとたくさん話をして仲良くなった!と言いたいところ。でも、私は塞ぎこんだままツアーが終わってしまった。ツアー自体はすごく楽しかったけれど、最後まで自分の殻を破ることができなかった。
つづく
何かをしようとして、
少しでも行動を始めた人は、
それだけですばらしいことだと私は思う。
続くか続かないかということよりも、
始めたこと自体がすばらしい。
「感情暴走社会」 和田秀樹