「走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹」
走った距離は、
裏切らない。
野口みずき
バリ島に向う成田空港でふと手にした文庫本。
それが村上春樹(著)『走ることについて語るときに僕の語ること』。
タイトルだけで即購入・・・ バリ島でときどき読むと時間を忘れてしまいそうだった。「老い」や「死」を意識しているからこそ、今を生きる「生」が感じられた。昨年から「トレラン」も始めて、旅することで若い頃よりむしろ運動量が増えている今のオレには共鳴できる箇所がいくつもあった。
そして来年50歳を迎えるオレ。今の自分にとってタイムリーだったのかもしれない。
いくつかピックアップして紹介したい。
Pain is inevitable,Suffering is optional、それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
僕が8月をハワイで過ごすと言うと「夏なのに、わざわざそんな暑いところに行くなんて、どうかしているんじゃないか」と一様に驚く。しかし彼らは知らないのだ。北東の方角から間断なく吹きわたる貿易風が、ハワイの夏をどれほど涼しくしてくれるかということを。アボガドのクールな樹陰での安らかな読書や、ふと思いたったときにそのまま南太平洋の入り江に泳ぎにいける生活が、人をどれほど幸福な気持ちにしてくれるかを。
もし忙しいからというというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。
ゴールインすること、歩かないこと、それからレースを楽しむこと、この三つが、順番どおりに僕の目標になる。
もっとも共感できた文章は、コレ。
身体が僕に許す限り、たとえばよぼよぼになっても、
たとえまわりの人々に
「村上さん、そろそろ走るのをやめた方がいいんじゃないですか。もう歳だし」と忠告されても、おそらく僕はかまわずに走り続けることだろう。(中略)
これまでと同じような-----ときにはこれまで以上の-----努力を続けていくに違いない。そう、誰がなんと言おうと、それが僕の生まれつきの性格(ネイチャー)なのだ。
村上春樹(著)『走ることについて語るときに僕の語ること』。
より抜粋
走りたくなる一冊!
一発屋みたいに大きいことを
どーんとやろうと考えるよりも、
こつこつと小さな改善を
たくさんやっている人のほうが伸びます。
近道を探していると
時間ばかりがたってしまう。
雑誌「プレジデント」、野口実