「九鬼政人という生き方」
迷ったらダメなんだな。
人生の答えなんて、考えたって分かるものじゃない。
ただ、そのときそのときをぎりぎり一杯生きている奴だけに
その答えは見えてくるんじゃないだろうか。
藤本 義一
人生の答えなんて、考えたって分かるものじゃない。
ただ、そのときそのときをぎりぎり一杯生きている奴だけに
その答えは見えてくるんじゃないだろうか。
藤本 義一
今回、中学校の講演に呼んでくれた「さとりん」と昨年7月、40歳の若さで亡くなった九鬼政人さんの話題になった。忘れもしない。オレが香取貴信さん、宮本くみ子さんと主催していた異業種交流会、伝説の【東京非凡塾】。その最後の講演(2004年11月11日)をしてくれたのが九鬼政人さんだったからだ。
「何で俺が・・・。じゃないんだ。
むしろ逆に考えるんだ。俺でよかった。
俺なら耐えられる。 俺なら勝てる。
そう思ったんだ」
ガンと闘いながら笑顔を絶やさなかった九鬼さん。
彼の第一印象は、派手なアロハシャツにサングラス、「チャラチャラした奴だな・・・」そんな彼とほとんど会話をすることもなかったが、初めて届いたメールに一発で惚れた。その言葉には謙虚さ、心遣い、誠意、リスペクトそんなものがすべて詰っていたのだ。「また会いたい」そう思わせてくれる男だった・・・。
そんな九鬼さんとさとりんの関係はまったく知らなかった。さとりんが発行しているメルマガ「今日の一言」のバックナンバーを送ってもらった。
さとりん発行のメルマガ「今日の一言」より
命というのは時間なんだ。
「魔法のお悩み解決法」 小俣 和美(著)
さとりん発行のメルマガ「今日の一言」より
今日の一言は実話物語です。
それは、ガンと闘いながら生き切った友人の話。
和歌山県に九鬼政人さんという人がいました。
余命三ヶ月の状態の彼にカウンセリングを依頼されたとき、第一印象は「なんてふざけた人なんだ」と思いました。しかし、彼は言いました。「ふざけていないとガンの恐怖に押しつぶされそうだから、ふざけるしかないんです。。」
それから毎日電話しました。彼は言いました。
「この世に生きた証がほしい。 だれかに喜ばれた証がほしい。 たった一人にでもいいから、喜びを遺したい。。。」
ガンは日増しに大きくなりましたが、彼を必要としてくれる人は毎日増えていき、人に必要とされる喜びが九鬼さんの余命を伸ばしました。彼のひたむきな努力は、会社を大きくし、学校を作り、大学でも教えるようになり、本を出版することもできました。
3ヶ月の余命宣告から、3年の時間が過ぎていました。
彼は、一人でハワイ旅行に行くのが夢でした。しかし、彼は家族と社員全員でハワイに行くことができました。彼は夢を超えたのです。
ハワイから涙声で電話がありました。
「夢なら覚めないでくれ! いや、こんなこと夢にすら思っていなった!! あきらめずに生きてきてよかった!!」と。
ハワイから帰って数ヵ月後、彼の容態は急変しました。あるとき、言葉を発するのも精一杯の状態だったはずの彼から電話がありました。
「僕の人生の主治医は佐藤さんでした。 ありがとうございました。」と。
それが最後の会話でした。
笑顔と感謝で生きた彼は、周りの人の心に笑顔と感謝を遺して、天に旅立ちました。
和歌山県で行われた葬儀には、日本全国から彼を慕って、多くの人が来ていました。みな涙に暮れていました。そして、棺に横たわる彼に言いました。
「九鬼さん、出逢ってくれてありがとう。」
最後に遺してくれた言葉への恩返しとして私ができることは、九鬼さんの生きざまを生徒たちに話し続けること。あなたの生きざまが多くの人の人生を開くきっかけになると信じているから。
私が生きている間は、九鬼さん、あなたは私と共に生きていますよ。そして、私が旅立っても、教え子の何人かの心にはあなたの生きざまがのこっていることでしょう。
天国にいる九鬼さんに贈る言葉です。
「私に生き方と死に方を教えてくれたのは、九鬼さんですよ。 私の人生の先生は九鬼さんですから。 これからも笑顔で周りの人への感謝を伝えて、全力で生き切ってみせますね。 それがあなたが私に教えてくれたことだから。。」さとりん
それは、ガンと闘いながら生き切った友人の話。
和歌山県に九鬼政人さんという人がいました。
余命三ヶ月の状態の彼にカウンセリングを依頼されたとき、第一印象は「なんてふざけた人なんだ」と思いました。しかし、彼は言いました。「ふざけていないとガンの恐怖に押しつぶされそうだから、ふざけるしかないんです。。」
それから毎日電話しました。彼は言いました。
「この世に生きた証がほしい。 だれかに喜ばれた証がほしい。 たった一人にでもいいから、喜びを遺したい。。。」
ガンは日増しに大きくなりましたが、彼を必要としてくれる人は毎日増えていき、人に必要とされる喜びが九鬼さんの余命を伸ばしました。彼のひたむきな努力は、会社を大きくし、学校を作り、大学でも教えるようになり、本を出版することもできました。
3ヶ月の余命宣告から、3年の時間が過ぎていました。
彼は、一人でハワイ旅行に行くのが夢でした。しかし、彼は家族と社員全員でハワイに行くことができました。彼は夢を超えたのです。
ハワイから涙声で電話がありました。
「夢なら覚めないでくれ! いや、こんなこと夢にすら思っていなった!! あきらめずに生きてきてよかった!!」と。
ハワイから帰って数ヵ月後、彼の容態は急変しました。あるとき、言葉を発するのも精一杯の状態だったはずの彼から電話がありました。
「僕の人生の主治医は佐藤さんでした。 ありがとうございました。」と。
それが最後の会話でした。
笑顔と感謝で生きた彼は、周りの人の心に笑顔と感謝を遺して、天に旅立ちました。
和歌山県で行われた葬儀には、日本全国から彼を慕って、多くの人が来ていました。みな涙に暮れていました。そして、棺に横たわる彼に言いました。
「九鬼さん、出逢ってくれてありがとう。」
最後に遺してくれた言葉への恩返しとして私ができることは、九鬼さんの生きざまを生徒たちに話し続けること。あなたの生きざまが多くの人の人生を開くきっかけになると信じているから。
私が生きている間は、九鬼さん、あなたは私と共に生きていますよ。そして、私が旅立っても、教え子の何人かの心にはあなたの生きざまがのこっていることでしょう。
天国にいる九鬼さんに贈る言葉です。
「私に生き方と死に方を教えてくれたのは、九鬼さんですよ。 私の人生の先生は九鬼さんですから。 これからも笑顔で周りの人への感謝を伝えて、全力で生き切ってみせますね。 それがあなたが私に教えてくれたことだから。。」さとりん
笑顔と感謝を遺す・・・楽しいときは誰でも笑える。辛いときも笑っていたい。夢を超える旅を提供していきたい。九鬼さん、あなたはオレの中でも生きつづけている。
命というのは時間なんだ。
もし、どこかの会社で仕事をすれば、
その間の命は自動的に
その間の命は自動的に
その仕事にかけられてしまうことになるんだよ・・・
この自覚を持つことが、『命がけ』ということなんだよ
「魔法のお悩み解決法」 小俣 和美(著)