身体が先に非常事態を宣言することがある ― ある夜のパニック反応について | 記録(G)

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ではこれは「告白文」でも「克服ストーリー」でもなく、状況報告としてのブログ記事として組み立てます。読者が「これは自分にも起こりうる現象だ」と理解できることを主目的にしています。

本文



昨日、強い咳と痰が続き、呼吸がかなり苦しい状態になった。

そこに、過去の体験を思い起こさせる出来事が重なり、思考か身体のどちらか(あるいは両方)が急激にパニック状態に入った。


理屈として「今すぐ命の危険があるわけではない」と分かっていても、それはほとんど役に立たなかった。身体のほうが先に非常事態を宣言してしまった、という感覚に近い。


私はこれまで、こうした状態から戻るきっかけとして、夫の存在にかなり助けられてきた。

しがみつく、体温や重さを感じる、呼吸や動きを共有する。そうしているうちに、切れていた身体感覚が少しずつ戻ってくる。


ところが昨日は、一人だった。

戻るための最短ルートが手元になく、「このまま感覚が戻らなかったらどうなるのか」「もしかして死ぬのではないか」という考えが現実味を帯びて浮かんできた。


後から振り返ると、これは思考の暴走というより、神経系の防御反応だったのだと思う。

呼吸の苦しさは、過去の記憶や恐怖と結びつきやすい。扁桃体が先に反応し、闘争・逃走がうまくいかないと、感覚を切り離す方向(いわゆる離人感)に切り替わることがある。


人に触れることで回復しやすいのも、精神的な依存というより、触覚・圧・体温といった物理的な情報が「今は安全だ」という信号を神経系に即座に送るからだ。哺乳類としてはかなり標準的な設計だと思う。


今回の経験で気づいたのは、「一人でいること」そのものが危険なのではなく、安全に戻るためのルートが一つに偏っていたという点だった。

夫の存在は非常に有効な回復経路だが、それが唯一だと、いない状況で恐怖が増幅されてしまう。


結果として私は回復したし、今こうして振り返ることもできている。

神経系が一時的に過剰反応しただけで、壊れたわけではなかった。


この出来事は、特別な誰かの話ではないと思う。

体調不良、過去の記憶、孤立した状況が重なれば、身体が先に「危険だ」と判断することはある。

それは弱さではなく、かなり忠実な生存反応だ。


これは克服談でも教訓でもない。

ただ、人間の身体がどういう順序で非常事態に入り、どうやって戻ろうとするのかを、実体験として記録しておくためのメモである。

20251228 22:44 一般公開