水木しげる記念館に行って来た。
水木先生が亡くなって10年も経ってしまった。信じられない。
で言及したように、保育園に行き始めて、グレた頃、テレビでゲゲゲの鬼太郎 第3期 を保育園から帰って来た後に見ていた。
第3期の『ゲゲゲの鬼太郎』はヒーロー色が強く、夢子ちゃんというテレビアニメオリジナルキャラクターが妖怪に襲われると、鬼太郎が彼女を守るという展開が多かった。猫娘はヒロイン的な立ち位置ではなく、鬼太郎の友人枠として描かれていた。
『鬼太郎』の面白さは、鬼太郎が人間と妖怪のハーフという複雑な生い立ちを持ち、自ら人間を救ったり味方したりすることに対して、時に疑問を抱く点にあると思う。
常に自分の在り方や世界との関係性を問い続ける彼の姿勢は、単純な勧善懲悪ものとは異なる魅力を放っている。私自身、保育園に通い始めてから保育園の価値観と自分のそれとの違いに戸惑い、疑問を持つようになったが、鬼太郎の姿勢は、そうしたときに私がどう在るべきかを示してくれたように思う。
水木しげる自身も保育園の頃からぐれて抗争に明け暮れていたようだ。
私も中学生の頃には、今と全く変わらないのに何故か裏番と言われていた。
そして、50人定員で51人志願者のある試験に一人だけ落ちたりする。
「森の中のエホン」
いくつかこの題の絵があったが、好きなタッチ。
出版されたら、絶対に買う。
水木しげると戦争との関わりは深い。
記念館ではかなりの量の戦争に関わる水木しげるの資料を展示していた。
私の祖父は水木しげるよりいくつか歳下で戦地には行かなかったが、予科練には志願して行ったらしい。志願して行ったという部分を祖母も母も馬鹿だとずっと非難していた。
学校では日本は正しいアメリカの言うことを聞かず愚かにも戦争を仕掛けて来たという雰囲気で太平洋戦争を習うが、祖母は戦後、アメリカの占領軍が男子学生が付けていた腕時計を理由もなく奪う場面を目撃している。
学校で習う事が正しいとは限らないし、祖母が言う事も正しいとは限らない。
皆、見たいように物事を見て、見たくないものは見ない。私も例外ではない。
水木しげるが戦地に持参した「ゲーテとの対話」と英和辞典。
生き残ったことを咎められ、自決させられたり、無理な作戦で命を散らすように仕向けられる。戦争の不条理を感じる。
“働けば時間はなくなる
時間がないと物理的に絵はかけないわけだ”
2000年代以降、「自己責任」というスローガンの元、格差を容認、拡大して来た世の中だが。
鬼太郎 第3期のエンディングに出てくる。
枕返し
私は保育園の頃、何故か砂かけババアと呼ばれていた。確かにちょっと似てる気がする…。
最後、
にて公式ガイドブックその他を購入。
夫は
を購入。
宿にて夫と水木しげるの話。
私: 何で戦争をしたがる人がいるのかな?
夫: 戦争をすることで強い自分を周りにアピールできると思ってるからじゃない?自分が前線で戦う羽目になるとは想像出来てないんだよ。
私: 私は国のためにあなたの命を諦めたりするのは絶対嫌だよ。
20250405 3:38 一般公開