昔、母親がこの映画を「少女と青年が仲良くなって、青年は少女の言いなりになって色々なところを連れ回すんだけど、最後、警察が来たら、少女は急に、怖かったと言って青年を見放す」と説明していたんだけど、実際映画を見てみたら、そんな小悪魔みたいな、自分が女であることを自覚した少女では無かった。
孤独な青年と孤独な少女がお互いを労る純愛映画だった。
そもそも、警察に少女が怖かったなんて言う場面は無い。むしろ、シベールは唯一の庇護者を失って悲嘆にくれるのだ。
おじさんと少女が接触すると、すぐに通報されてしまう世の中だが、その偏見が、少女を更に追い詰めるという内容。
要するに母親が私に説明したのとは真逆の内容なのに、どうしてそれを少女も実は世間と同じことを腹の中では考えていたと母親が解釈したのか不明である。
こんな母親だから、当然私の父親はゴミのように扱われていた。母親の視点では、おそらくそうではないだろうが。
世間がシベールからピエールを永遠に奪ったように、母親も私から父親を奪ったのだ。
世の中全体が父性というものを誤解し、軽んじているように思う。一部のおかしな男性のせいで、他の多くの男性は迷惑しているのに、そこに更に塩を塗り込むようなことをするのはどうかと思う。
自分達の首を絞めるだけの行為であることに気づかない。
成人女性が自らの性欲の赴くままに、男性を見るから、悲劇は繰り返されるのではないか?というのが、私のこれまでの色々な経験からの推測である。
要するに、「ババア、お前の穢れた視点で色んなことを解釈して騒ぐんじゃねぇ」ということだ。
