昔、関西に住んでいた時、大阪環状線に乗ってバイトに行っていた。

電車に慣れて来ると、同じ時間の同じ車両に乗る事にするのが効率が良い事に誰しも気づくだろう。

私もその一人だった。

そして、もうひとり。同じ事を考えているらしき人物に私はいつしか注目するようになっていた。

新今宮から環状線に乗ると、そのおじさんはいつも開くドア向かって右側のシートの端に座っていた。

私が乗り込む頃にはシートに空きはない。

私が立つ位置はおじさんの目の前、或いは左斜め前だった。

自然とおじさんが視界に入る。

おじさんは目を瞑っている。

そして、左手で膝の上のカバンを、右手で、いや、正確には右手人差し指を口に咥え、懸命に指で歯を磨いていた。

同じシートに座っている隣のおばちゃんは全く気づいておらず、その隣りに割り込んで座ろうとして来た別のおばちゃんに押されて、指歯磨きをしているおじさんの右腕を押す。おじさんも負けじと口に指を突っ込んだまま、おばちゃんを肘で押し返す。

私はその様子を眺める。

隣りに座る人は毎日変わるものの、毎朝、おじさんは同じ位置で指で歯磨きをし続けていた。

バイトを辞めると同時に大阪環状線にも乗らなくなったので、あのおじさんがどうなったかは分からない。

もしかしたら、今でも目を瞑って、朝8時台のあの電車のあの車両で指で歯磨きしているかもしれない。

或いは、大阪環状線の新車両導入に伴い、旧車両に取り残されたまま指歯磨きを続けているかもしれない。

真相は闇の中だ。いや、電車の中だ。