究極的には自分が居なくなれば良いのでは?という思考に辿り着く。
私が自殺するとすれば他に理由はない。
要するに我儘?の度が過ぎて死ぬ訳なのだが、そういう人の事例で死ななかった人といえば、白石君じゃなかろうか?
逆に死んでしまった人の事例は特に思いつかないので、そういう我儘な人は、人に危害を加える事はあっても、死んだりはしないのかもしれない。
というかよくわからんw
父親が出て行って母親が自殺願望を口にするようになり、それが私的に迷惑だったという思い出があるせいか、自殺願望を気軽に口にするメンヘラを同情するふりをしつつ観察する癖が私にはある。
これも何故なのか分からないw
そういえば、セックスする相手の男には自分の父親と母親の事の顛末を話すようにしているのだけど、何故か母親に対して同情する男が多い。
私は母親ではなくむしろ父親がメンヘラ糞女である母親の被害者だと思っているので、その時点で、そのセックスした男とは今後上手く行かないな、と予想出来てしまう。
そうやって、女というだけでメンヘラを甘やかすから、糞女どもにそのうち刺されたりするんだよ?あ、もしかしてそこまで依存してくれる女が好きなのかな?
何か話、逸れ過ぎた。
私も希死念慮を抱いていた時期はあった。14歳くらいから25歳くらいまでと、28歳くらいから30歳くらいまで。
最初の期間の理由はよく分からない。
母親に家の事は外で話さないようにと言われており、私はそれを忠実に実行していた。確かに田舎だったので、私が漏らした事を誰かが誤って他の人に話してしまうと瞬く間に、噂が広まってしまい、母親の耳にもそれが届いてしまう。このため、自殺願望を口にする母親を宥めつつ、学校では何事も無かったように明るく振る舞っていた。その秘密の保持の強要がストレスになっていたのかもしれない。治安の悪い田舎の小さな学校で成績優秀だった私は学校で羨望の眼差しや嫉妬の目で見られる事はあっても、哀れみや同情や保護の対象としては見られておらず、また、教師も私に期待こそすれ、心配や配慮の対象ではなかった。親が反社や生活保護だという生徒がわらわらいるので当然といえば当然である。母親のプライドのせいなのか田舎の社会構造のせいなのかは分からないが、とにかくここからどこにでも良いから早く行きたい願望が強く、その一つが希死念慮だったのかもしれない。
19歳で大学に入学した後は、母親の監視の目が厳しく、下宿ではない場所で電話に出ると、遊んでいなくても遊んでいるに違いないと厳しく追求され、もしそうであれば、金は出さないと脅されるようになったことが希死念慮の原因であるのかもしれない。まともな大学生活は送れず、ずっと下宿で大学の授業の課題を解くか意味の分からない駄文をワードに書き込むか2ちゃんねるで希死念慮のあるとかいう人のスレが立ったら、煽りを行って相手を怒らせるかという状態で、何で生きているんだろうこの人?と多くの人が疑問に思うような状態だった。ちょっとしたことで他人を差別する明らかにぬるま湯で育って来た同級生に話を合わせるのが困難で、物欲しそうにしている男子学生の性の相手をして過ごす事だけが意味のある行為に思えた。性の相手をしているだけなので相手の外見人格その他には興味がない。3回以上同じ人とすると気分が悪くなるので、4回目以降は音信不通。
次の期間については、夫と同居するようになり、常に他人が自分のパーソナルスペースを侵してくることに耐えられなくなったから。
それが何故治ったかというと、夫といる時は常にアルコールを摂取して感覚を麻痺させ、意味の分からない駄文をブログにアップすればやり過ごせることに気づく事が出来たからである。
まとめると、
私は人間嫌い。
何故か結婚している。
まさかとは思いますが、この「夫」というのはGmiさんの想像上の人物に過ぎないのではないでしょうか。