血液腫瘍の根治療法として発展した造血幹細胞移植後の後遺症として、認知機能の障害が生ずる場合がある、という問題があります。私自身、移植から3年後に認知機能の障害が生じたことをあまり気にかけないまま放置していたところ、認知機能が大幅に低下して、脳血流シンチレーションの検査の結果、アルツハイマー型認知症と診断され、今日に至っています。
この造血幹細胞移植後の後遺症としての認知機能障害の問題は、最近になって注目されるようになったものであり、日本造血細胞移植学会のサイトでもまだ言及されていないものですが、海外では、最近いくつかの文献で研究の必要があることが指摘され、様々な研究がなされています。ちなみに、日本でも、2021年3月15日に出された、同種造血幹細胞移植患者の長期フォローアップ 日常診療を担当していただくかかりつけ医のためのハンドブック13頁は、上記のような状況を踏まえて、「神経・認知障害・易疲労」の項目を掲げ、「全ての症例で、移植後1年目と以降少なくとも年1回、神経学的機能障害の症状や所見について評価する。小児患者では認知機能の発達について毎年評価する。成人でも、認知機能の変化は潜行性で検知しにくいため、注意を要する。」旨が記されています。また、同ハンドブック24頁は、造血細胞移植後の神経・認知障害の原因として、感染症(アスペルギルス、トキソプラズマ、ヘルペスウィルス)、薬物関連毒性(免疫抑制剤、治療関連白質脳症)、脳血管障害(特に、生活習慣病を併発している患者さんはハイリスクです)、代謝性脳症、一部に慢性GVHDがあるとしています。
そこで、備忘録として、自分の経験に照らしても重要な指摘がなされていると感じた、アメリカのアンダーソンがんセンターの脳神経がん及びがんの脳神経合併症を専門とするRebbeca A. Harrison臨床助教授らによる、造血幹細胞移植後の認知機能障害の発現形態(phenotype)とその発症のメカニズムに関してこれまでの研究の状況をまとめ、さらなる研究の必要性を示したレビュー論文にリンクします。
上記のレビュー論文の内容については、あらましとイントロの部分だけでも、少しずつ訳していこうと思います。
まず、冒頭のあらましの部分は、以下のようになっています。
「造血幹細胞移植は血液がんの治療において中心的役割を果たしている。造血幹細胞移植を受けた患者が増えるにつれて、これらの患者が経験する移植を受けた生存者に特有の問題が、移植成績の重要な指標の一つとなっている。認知障害が造血幹細胞移植後に生じうることはすでに確定しており、これまでになされた多くの研究が、認知障害が存在すること、認知障害を発生させるリスク要因、治療の対象となるその発現形態を明らかにしている。造血幹細胞移植後に認知障害を生じさせる潜在的な要因は多数存在している。治療の対象となる認知障害の発現形態、そのバイオマーカー、認知障害の生理学的な基礎をさらに明らかにする努力が続けられている。造血幹細胞移植後の認知障害に関する基本的な知識は、この患者達と関わるすべての医療者にとって有用である。そして、がんに対するこの治療方法が脳の健康に及ぼす影響に対する理解を深めるためにも、一層の医学的研究が必要である。」
次に、イントロダクションの部分だけですが仮訳してみます(誤訳の部分が多いかもしれないことをご容赦ください。)。
「造血幹細胞移植は、血液がん及びある種の非腫瘍性の血液疾患の治療に革命的変化をもたらした。免疫機構に操作を加えることによって、造血幹細胞移植は、以前は末期の状態であるとみなされた患者に対して治癒をもたらす能力を持つ治療を施すことができる。しかし、この治療介入には問題もないわけではない。移植後に生ずる後遺障害の多くが、その特徴をよく知られるようになっており、その中には、合併する感染症、自己免疫疾患、化学療法の毒性によるもの、及び末梢組織の機能障害が含まれる。しかし、従来あまり注意を向けられてこなかった領域として、造血幹細胞移植が脳と認知機能に及ぼす影響の問題がある。
自家移植又は同種造血幹細胞移植を受けた患者の3分の1以上が、病院を退院し、積極的治療を受けなくなった移植後2年後の時点でも、「生活が通常に戻った」とする言い方には同意していない。また、移植後5年以上生存している者では、その60%しかフルタイムの仕事に復帰していない。これらのデータは、移植後の急性期よりも後に生ずる広汎な諸機能の変化を示唆している。神経認知機能の変化は、造血幹細胞移植後に生ずる重要な問題として患者と医療者の双方によって認識されてきた。また、神経認知機能の障害は、サバイバーの自立とその主体的に物事に取組む姿勢(personal agency)にも悪い影響を与える可能性がある。患者の生存率の成績が良くなったことは、その一方で、これらの患者群の間で、認知機能のような長期に生ずる問題の重要性を高めることになった。
造血幹細胞移植後の認知障害に関する研究はまだ初期段階にあるが、移植を受けた全患者のうちで半数近い者が、元々あった認知機能が移植後に変動したことがわかったと推定されている。このことから、造血幹細胞移植を受けた者の認知障害の可能性を治療の際に認識しておくことが提唱されており、年1回、医師が認知機能が低下していないかをモニターすべきことが推奨されている。造血幹細胞移植を受けた者をケアする医師が、治療に伴う認知機能の変化が生ずる可能性があることに注意しておくことは、かかる影響の潜在的な重要性からすれば、絶対に不可欠なことである。造血幹細胞移植が引き起こす生理的な過程は複雑であるから、認知機能の変化の背景にある神経生理学的なメカニズムを研究するのは困難な課題である。本レビューは、造血幹細胞移植後の認知機能障害の性質をめぐって書かれた近時の文献を要約し、これを引き起こす可能性のある要因、認知障害に伴うバイオマーカー、さらなる治療介入と研究の方向を示すものである。我々は、まず、造血幹細胞移植の過程を概観し、この患者群について報告されている認知機能の変化とそれを引き起こすリスク要因について述べ、次に、造血幹細胞移植を受けた者の認知機能の変化の背景にあってこれを引き起こす可能性のあるメカニズムを説明し、最後に、仕事に復帰する際に考慮すべきことや諸症状の管理において考慮すべきことを含めてその治療上の問題を論ずる。」