最近、日本の若年層?の1人として何か「生きづらさ」や「漠然とした不安 」みたいなものを感じていたが、以下の2点が原因であるという考察を得た。

①大義(信じるもの)の欠如
→太平洋戦争敗戦による天皇信奉の消滅、そもそもの無宗教(仏教は行動様式を示すものとしては機能していない)により日本人には信じるべきものがない。現状、国家自体が不安定な状態にある中で、信じるものが何か分からないという特異な状態(無宗教)で生きていくことは簡単なことではなく「不安」を感じるのも無理はない。(国家としてはこれまでお得意だった経済面も閉塞感があり、平和についても米中の動き次第では保証されていない。)
②情報化社会におけるコミュニティーの多様化への不適合
→高度情報化によりSNS等を活用したコミュニティーの多様化が生じているが、日本人は従来農耕時代から単一の組織(ムラ)に属してきた種族であり多様化に対応できていない。現状、多くの人間が「どうしたらよいか分からない」というストレスフルな状態に陥っている。

上記の①、②はある種、相互補完的な関係にある。これまで日本人は信じるものがない状態でも戦後の急速な経済成長と平和を盾に問題なく生を営んできたが、いまやそれらの盾は全く保証されておらず、人々はかつてない不安定な状態に身を置き、多かれ少なかれ「危うさ」を感じている(アノミー状態) 。その中で多様化したコミュニティーに救い(信じられるもの)を求めるものの、そもそも多様なコミュニティーへの属し方がよく分からず、さらに不安感・孤立感を増長させた上で「頼るべきものは何もない」という事態を悟るという悪しき二重構造に陥っている。

この状態を解消するために私は何も日本人が信じられる宗教(行動様式)を構築すべきとか、情報化社会におけるコミュニティー自体のあり方を何とかすべきまでとは考えていない。
注: 上記は建前であり、人々が不安なく生きていくには行動様式を示してくれるイスラム教のような宗教が必要であると思うし、それが究極的に今の日本に求められていると思う。
しかし、日本ではどんな純粋な思いで発起した宗教であれ必ずカルト化するという因果な宿命がある。
(このカルト化する原因も考察が必要である。)

結論として主張したいのは、今後激しく流動する社会の中で、各個人は公共として信じるべきものがないことを認識しながらも「自分にとって最も大切なもの(信じるべきもの)」を明確にし、それらを誇りを持って守らなければならないと言うことである。逆にそうした意識を各個人が持たなければ、今後確実に時代の渦に巻き込まれてしまうであろう。(率直に言うと直近20年以内に戦争、または我々の価値観を劇的に変化させるような「革命」が起きると予測している。そんな中でも個人は自分の守るべきものだけは明確にし、死んでも守り抜く覚悟が必要である。そうしなければこの国自体が滅びてしまう予感がある。ここに論理の飛躍は認めるが・・・(個人の信条の議論からいきなり国家情勢の議論に飛躍したが、ここについては議論を割愛する。))

最後に、夏休みにアホの1つ覚えみたいに旅行に出かけていくことを否定はしないが、この機会に個人ベースでじっくり物思いに耽るのも悪くないのではと思う。
注: 上記の主張はそもそも日々生きる中で何の疑問も不安も感じていない人々にとっては、何が問題で何を解決したいのか不明瞭であると思う。
そういう人にはいずれ分かりやすい形でドラスティックに現れるよとしか言えない。私はそうなる前に皆さんと一緒に真剣に考察したい。