美しさと幻想と

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夏の横浜はアスファルトの照り返しで刺すような暑さであるが、 時折心地よい潮風がほてった身体と心に涼を与える。

 

山下公園では大道芸人がパフォーマンスをしており、人だかりができている。

夏の日の群衆の熱気には蒸れるような一種の狂気がまとわりつく。
 
そんな狂気に誘われて少し見てみると、芸人がジャグリングを披露している。
それを見て驚き、キャハキャハと甲高い歓声を上げ拍手を送る人々。
 
大道芸を観劇することで、僕たちはある意味人生という喜劇を演じることを、ほんの束の間でも、忘却という名の奇怪な曲芸に委ねることができるのかもしれない。
 
その対価に僕たちはポケットの中から、なけなしのコインを自らの投影に差し出すのだ。
 
さらに山下公園を歩くと港には巨大で凛々しい船舶が停泊している。氷川丸だ。
 
かつては多くの人々を乗せて欧米に帆を走らせたアールデコ様式の豪華客船も、現在はその役目を負え、博物資料館となっている。
 
横浜港は日本の交易・発展に最も寄与した港であり、この役目を負えた巨大客船はそのシンボルなのである。
世界はシンボルで溢れ、この港にも航海を忘れた鋼鉄の塊がこれ見よがしに鎮座する。
 
山下公園をさらに歩き抜けて、高速道路の高架の下をくぐると、元町にたどり着く。
昔、母から
「元町でショッピングすることがステータスだったのよ。」
と聞いたことを思い出す。オシャレで落ち着いた大人な街だ。
 
そして、港の見える丘公園を目指して階段を上っていく。
階段には緑が溢れ、夏の日差しが木々の間からこぼれるように差し込んでくる。
 
階段は思ったより長く、息をきらせながら公園をめざしてゆっくりと上っていく。
焦ってはいけない。階段とはゆっくり上るものと相場は決まっているのだ。
 
10分ほど階段を上ると港の見える丘公園が現れる。
そこからは、夕日に沈みかけた横浜の景色が一望できる。
 
横浜港、ベイブリッジ、山下公園、さらに先にはコスモクロック、赤レンガ倉庫、ランドマーク。
横浜のシンボリックな造形物たちが夕日におぼろげに映える。海が夕日に照らされて波面が印象を倍加させる。
 
この人工的でありながら、自然美のような輪郭を感じさせる景色は僕たちの心の
奥にある臆病な部屋を優しく包むように開扉する。
 
「私、高校生のとき親の不仲が原因で一人暮らししてたんだよね。」
 
今まで聞いたことのなかった彼女の過去が言葉として自然と溢れ出す。
僕はただそれを黙って聞くことしかできない。
 
感情の発露としての言葉は単なる記号でしかない。僕にはその記号に意味を与えることは決してできない。
僕にはただ、その記号を音素に分解し、タブレットのように飲み込むことしできないのだ。
 
しばらく横浜の景色を眺めたあと、公園から下り中華街に向かう。
もう、時刻は19時近くであり、中華街には怪しげなネオンが妖艶に輝く。
焼小籠包なるものが流行りらしく、買って2人で熱さに耐えながら夢中でほおばる。
 
食べ物を分かち合う時、人は妙な親近感を覚える。この親近感は原始の記憶なのかもしれない。
結局、物事は思ったよりもシンプルで焼小籠包みたいなものが人と記憶をつないでいるのだ。
 
 
そして、電車でみなとみらい方面に戻り、最終目的地である大さん橋に到着する。
船着き場のウッドデッキから夜に燦然と輝く横浜の街。目の前で規則的にライトパターンを変えるコスモクロック。全てが不規則な夜の海。
 
 
「ここからみる景色が一番好きだな。なんか、この華々しさがまるで海が作り出した幻みたいでさ。」
 
「たしかにね。でも、世の中なんて全部幻みたいなもんじゃない? 私にはこの景色の方が日常よりよっぽどリアルに感じるわ。」
 
「君は哲学者みたいなことを言うね。確かにそうかもね。この景色も君も僕も幻みたいなものかもしれない。」
 
そのとき、ふと彼女の潤んだ目に飾られた繊細な宝飾のような睫毛の先から一粒の涙が流れた。
何よりも本物のようで幻のような美しく深淵なその涙。
 
僕はふと彼女の肩に手をかけた。

もう他の全てが嘘でも構わない。
ただ、確かにそこに在る彼女を強く感じた。