先日明らかになった財務省による行政文書の改竄問題で行政庁による民主主義への冒涜が明らかになりました。承認済の文書に改竄があったということは責任者の承認がおりていない無効文書をベースに国民の代表の場たる国会で議論されていたことになり、「冒涜」と以外表現のしようがない。正直、ありえなさすぎて笑えません。
この問題に対して人に話すと必ず、「なぜ民主主義を守る必要があるの?」と聞かれます。マジレスすると社会要請ですとしか言いようがないが、実質的には憲法に明記されているからですと答えると「憲法って守る必要があるの?」などと返されます。
要するにこの問答から私が示唆したいことは、敗戦後の日本人には民主主義を守るためのプラットフォームが存在しないと言うことです。
これが、昨今の行政庁のイカれた対応とそれに対する国民の愚鈍な反応の根源になっていると思います。
歴史を遡ると、戦前は伊藤博文を中心とする明治政府が作りあげた天皇を中心とした国体があり、「民主主義は天皇のために守る」という強力なプラットフォームが構築されていました。まあ、この国体が結果的には無謀な戦争に走らせたわけですが。
そして敗戦により現人神であった天皇は象徴となり、国体はアメリカへの追従という形で人々に認識しづらい、というか国民に隠す形で護持されることとなりました。
ここで敗戦国として、戦勝国であるアメリカ様のために民主主義を守り、強いては東アジアの統治に協力することがプラットフォームにすり替わったわけです。ただ、当然日本人は敗戦国とは言えすぐに独立国家を謳い始めた故にその事実を認識できなかった。いや、あえて目を背けた言えるでしょう。
また、アメリカが上手いのは、自国への追従の対価として朝鮮戦争等の特需から高度経済成長と言った「富」によるご褒美で今の爺さん、婆さんたちをウハウハさせ、「日本は経済大国だ、技術立国だ、万歳!」と見事にバブル崩壊まで浮かれ続けさせたところです。
ただね、これは表側では経済成長を促して、裏で自分たちのケツを舐めさせるという敗戦国に対する統治の常套手段なんですよ。この間に日本人は経済成長をアイデンティティにする一方で民主主義のプラットフォームが何たるかを完全に認識できなくなってしまった。
要はプラットフォームがアメリカそのものであることには目を背け、拠り所である憲法自体もそもそも敗戦時にアメリカに手を入れられてるからねって話なんです。つまり、敗戦時から民主主義のプラットフォームは認識する以前に存在しなくなってしまったのです。
結論として日本人が何のために民主主義を守るべきか本質的に分かりえないのは当然であり、今の政治、経済の混乱も敗戦時から予想がついていて小室直樹とかハイパー賢い人々はずっと嘆いていたってわけです。
じゃあ、どうしたら民主主義のプラットフォームを再構築できるかと言えば、これは大前研一とかが唱えてるけど、憲法を一から自分たちで作り直して「民主主義を勝ち取る」ことですかね。
(アメリカが民主主義に対して意識が高いのはイギリスから独立し、民主主義を勝ち取ったという誇りがプラットフォームそのものになっているからだそうです)
まあ、改正手続きや下位法の違憲審査、修正云々以前にそんなことをアメリカ、強いては世界が許してくれるはずがありません笑 結論としてなす術は今のとこありません。(社会学的にもこの答えで一致)
でね、多分、「私仕事に忙しいとか子育てに忙しいから民主主義がどうなろうか知ったこっちゃないよ!」と言うのは分かりますが、過去の歴史を踏まえると、民主主義が正常に機能しなくなるとあなたやあなたの大切な人たちの健康で文化的な生活が保障されなくなっちゃうんですよ。最悪、戦争にぶっこまれて死にますよね。すごく困った話しです。
要はまず民主主義構築への参画者としての自覚を持って、まず選挙行って投票しましょうって言う話です。これは自分への戒めです笑