モルモン教祖ジョセフ・スミスとかけおちして結婚したエマはどうなったのか?

パート2です。

パート1はこちら下矢印下矢印

 

⑮1842年6月29日、36歳の夫ジョセフが38歳のエライザ・スノーと結婚。13番目の妻サラ・クリーブランドはこの結婚式で証人を務めている。その後、エライザはスミス家にいそうろうを始めた。エライザはジョセフを熱狂的に愛していた。
「私の愛する夫、私の心が選んだ人、私の人生の王冠」と日記に書いている。又、肉体関係も含む結婚だったとも書いている。

⑯1842年7月27日、ジョセフがエマに内緒で17歳のサラ・アン・ホイットニーと結婚。これを隠す為に、ジョセフはサラ・アンに偽の結婚式をさせた。夫役のキングスベリーはサラ・アンの実の叔父さんだった。

●1842年8月18日、ジョセフがサラ・アンにラブレターを送った。
「ノーブーにて。親愛なるホイットニー兄弟と姉妹、そして &C、(これは暗号で、サラ・アンのことを示している)私のあなた方への気持ちはとても強く、、、このままでは長く生きられないとさえ、感じるほどです。、、、私は今、カルロス・グレインジャーの家にいます。3人で、夜、来れれば来てほしいのです。、、、
気をつけなければならないのは、いつエマが来るか、です。もしエマが来たら、あなた方は安全ではありません。、、エマは今夜は来ないと思う、、、、」
 “この手紙にある、スパイ的なフインキは、ノーブーの一夫多妻において、当たり前のことだった”と歴史家コンプトン氏は書いている。

⑰1842年8月、ジョセフが37歳のマーサ・ナイトと結婚。マーサの夫ビンソンが死んでから一か月も経っていなかった。

●1843年1月11日、エマとジョセフがパーティーを開き、エライザ・スノーやハナ・エリスが出席した。

●ジョセフの20番目の妻になるエミリー・パートリッジはこう書いている。
「予言者ジョセフとエマが私たちを彼らの家で迎え入れようと言ってくれた。二人ともとても良くしてくれた。パーティーや歌や馬乗りでとても楽しかった。ある日、エマが『いつもおよばればかりしているから、今度はこちらでパーティーを開いて若い人たちを招待しましょう』と言ってくれた。パーティーではゲームをして最高の時間を過ごした。」

●1843年1月か2月 エマは夫ジョセフがエライザとキスまたは抱き合っているのを見て逆上し、エライザをほうきで追い回し、階段から突き落としたという証言が幾つかある。この時エライザはジョセフの子を妊娠していたが流産し、この時のケガがもとで一生びっこを引いて歩いていたと言われている。

●2月11日 エライザ、スミス家を追い出されるが、エルビラ・コールズの家にひき取られた。

⑱1843年2月、ジョセフが非モルモン男性と結婚していたルツ・セイヤーズと結婚。

●1843年3月23日、ジョセフはもぅ一度サラ・アン(16番目)に手紙を書いた。
内容は、もしアンが終わりまでこの新しく永遠に続く結婚の契約を守るならば、アンとその家族は同じ永遠の栄光の中で救われるだろう、というものだった。

●ジョセフ・スミスは日記にエミリー・パートリッジを自分の妻にむかえるのにどうやってダーフィー姉妹がお膳立てするのか指示を与えた、と書いている。暗号を使って書いたと思われる。ダーフィー姉妹はジョセフの12番目の妻。

⑲1843年3月4日、ジョセフがエマに内緒で16歳のフローラ・アン・ウッドワースと結婚。フローラはその後も若い男性とデートしたりして、ジョセフに反抗した。

⑳同じく3月4日、ジョセフが19歳のエミリー・パートリッジとエマに内緒で結婚した。エミリーは日記に、その後何度もジョセフと寝たと証言している。エミリーとその姉エライザは、ジョセフの家に住んでいて、エマは二人を実の娘のようにかわいがっていた。

㉑4日後の3月8日、ジョセフがエマに内緒でエミリーの姉エライザと結婚。

㉒1843年、ジョセフがエマに内緒で30歳のアルメラ・ジョンソンと結婚した。ジョセフの兄ハイラムが、「ジョセフに天使が現れ、多妻婚に従わないと彼を切り殺すと言った」と告げた。アルメラの兄ベンジャミンは、預言者ジョセフが度々アルメラに会いに来て、彼女と同じベッドで寝たと証言している。ジョセフはエライザとリディア・パートリッジもここへ連れて来たという。

●1843年3月~ カナダでジョセフの教会に改宗したマリアとサラ・ローレンス姉妹がエマの家に住み始めた。二人の父親が死んで母親が再婚したので姉妹は莫大な財産を父親から受け継いでいた。ジョセフはこの財産を管理する保護者となった。
 しかし、母親の再婚相手が財産の管理権を譲ってほしいと言い出した。ジョセフはこれを認めず、争いとなった。
ジョセフはローレンス家の金でエマの名義で土地等を買った。

㉓1843年5月1日、ジョセフがエマに内緒で17歳のルーシー・ウォーカーと結婚。ルーシーの母親が亡くなった時、ジョセフは父親を伝道へ出し、大勢いた子供たちをバラバラにして幾つかの家に引取らせ、ルーシーとその兄を自分の家に住まわせた。そして求婚し、「もし、あなたが拒否するなら、門は永遠にあなたへ閉ざされるでしょう。」と言って半ば強制的に自分の妻とした。
そして、結婚は秘密にしなければならないが、ルーシーを妻だと、ロッキー山脈を越えるくらい、認めようと言った。

●1843年5月11日、ハイラム・スミスの頼みに応えてジョセフが多妻婚の啓示をウィリアム・クレイトンに書き取らせた。これが現在の教義と誓約132章であり、「ジョセフが何人妻をめとってもエマは文句を言ってはいけない、もし言えばジョセフはエマに内緒で新しい妻をめとってよろしい、、もし従わないならエマは滅ぼされる」という内容だった。
 ジョセフは「私はこの啓示を暗記している」と言ってウリムとトンミムを使わずに口述した。 
ハイラムが書き取らせた啓示をエマに見せたが、エマに「こんなもの、信じるもんですか!」と完全拒否された。
 しかし最終的に「もしあなたの結婚相手を私が選べるのならOKします」と承諾した。そしてエミリーとエライザ、マリアとサラを選んだ。

●1843年5月、エマはエミリーとエライザが既に夫ジョセフと結婚し、肉体関係を持ったのを知らなかった。しかし、これを知ったらエマが怒り狂うと思ったジョセフは、マリアとエライザに口止めをし、結婚していたことを隠してもう一結婚式を挙げた。式にはエマも出席した。
 
●1843年5月23日、ウィリアム・クレイトンは日記にこう書いている。
「予言者は私に、エマ姉妹と小さないざこざが起こった、と言った。」彼の記録によると、エマはジョセフが二人の姉妹たちとドアの閉まった部屋で時間を過ごすことにいら立ちを覚えたらしい。 

●エミリー・パートリッジは書いている。「...エマは私たちとジョセフが直ちに離婚するように要求しました。自分が何か言ったらその通りになる、とエマは思っていたのです。でも私たちはそうは思わなかった。神聖な契約を交わした、と見ていたからです。」

「ある日、私たちはエマの部屋に呼ばれました。そこにはジョセフもいてまるで殉教者の様に見えました。エマはひどい事をたくさん言いました、ジョセフは私たちをあきらめるべきだ、さもなくば血が流れる、と。エマはこの様な形で自分の血が汚される位なら、清らかな血を流す方がましたとと思っていたのです。この様な対談はしょっちゅうありました。」

㉔㉕1843年5月 ジョセフが17歳のサラ・ローレンスとその姉マリア(19歳)と結婚。この結婚式にはエマも出席した。

㉖1843年5月 ジョセフが14歳のヘレン・マー・キンボールとエマに内緒で結婚。
 ヘレンはこう書いている。
「ジョセフが来て言いました。
『もし私と結婚すれば、あなたは確実に昇栄するでしょう、あなたのお父さんとその親族全員も昇栄するでしょう。』この約束があまりにも偉大だったので、私はこのような報酬を買うために自分を捧げることを決めました。、、でも、神さまと天使たち以外は私の母の苦しみを知りませんでした。」
「母は、自分や他の多妻婚の妻たちが受ける苦しみを自分の15歳にもなっていない一人娘が経験するのがわかっていたので苦しんだのでしょう。多妻婚の結果、太陽が昇るように確かに訪れる惨めさを、その苦しみをいつか娘が感じる日がくるとわかって。」
 式を挙げた後、ジョセフからダンス・パーティー等への参加を許されず、うつ病になったこともあった。

㉗1843年1~8月の間に夫ジョセフがハナ・エリス(30歳)とエマに内緒で結婚。当時ハナがいそうろうしていたジョン・ベンボウによると、預言者ジョセフは何度もハナに会いに来て泊まって行ったという。

㉘1,843年6月1日 ジョセフがエマに内緒でエルビラ・コールズと結婚。
忠実なモルモンのジョナサン・ホームズと新婚ホヤホヤの中の出来事だった。扶助協会では会計を務めた。
 エルビラの父親は教会の高い位についていたが、娘が既婚者であるのにジョセフと結婚したことに大っぴらに反対し、異議を唱え、最後はRLDSに加わった。

㉙1843年6月12日、ジョセフが自分の家にいそうろうしていた59歳のロダ・リチャードとエマに内緒で結婚。
二人の間にロマンティックな関係はなく、ロダは若い時に婚約したが死に別れた別の男性を一生涯思い続けた。
 
㉚1843年7月、ジョセフが32歳のデスデモナ・フルマーと結婚。
デスデモナはこのように書いていている。
「多妻婚が始まってから、夢でエマ・スミスに毒を飲まされそうになった。この毒の夢についてジョセフ兄弟に伝えたところ、『エマだったらやりかねないね』と言われた。
 エマは明らかに、デスデモナとジョセフの結婚について感ずいており、怒りとしっとに燃えていたのだろう。
しかし一方で、この夢はデスデモナの心の中のかっとうと罪の意識からきたものでもあるだろう。エマの親しい友達であり、過去に一緒の家に住んでいたなら尚更だ。

●1843年8月21日、エマはジョセフの服の中にエライザからの2通の手紙を見つけた。そして 顔を赤らめて憤慨した、恐らく、エライザからジョセフへののラブ・レターだったのだろう。(by ウィリアム・クレイトン)

●1843年8月22日 ウィリアム・クレイトンの日記にはこう書いてある。
 「予言者ジョセフは私に、昨日はエマに手を焼いたと言った、、、、、エマはフローラの持っている金の時計について問いただす覚悟でいた。
 ジョセフはエマの悪意のある話し方を叱責した。
 家に帰る途中に、エマはひどいことを言いだした、それが家に着いても続いたので、ジョセフは 厳しい処置(harsh measures )をとることになった。そしてとうとう最後にはエマをだまらせることに成功した。」
煩い女を黙らせるには手を使うしかない、と解釈される。ジョセフはエマに暴力をふるって黙らせた可能性がある、と指摘する声もある。
 夫の時計を他の女性が身に着けていたら、そりゃ、妻は不振に思うだろう。エマがジョセフに食って掛かるのは当然のことである。

●1843年8月31日 マンションハウスが完成した。この建物でジョセフとエマはホテルを経営し始めた。自分たちの家として、又神殿の儀式を行う場所としても使った。

㉛1843年、ジョセフがエマに内緒で27歳のオリーブ・フロストと結婚。オリーブの姉メリアンによると、この結婚は肉体関係も含んでいたという。そしてメリアンもジョセフが生きている間に彼と結婚した可能性がある。 

㉜1843年9月20日、38歳のジョセフがエマに内緒でメリッサ・ロット(19歳)と結婚。
メリッサはジョセフの家に住み、彼の子供たちと一緒に学校へ通った。彼女はジョセフとは「全ての面において夫婦でした」と証言しちえる。

㉝1843年、ジョセフがエマに内緒で15歳のナンシー・ウィンチェスターと結婚した。

㉞1843年、ジョセフがエマに内緒で56歳のファニー・ヤングと結婚。

●1843年10月19日より前にエライザ・パートリッジと妹のエミリーはジョセフ・スミスの家から追い出された。
エミリーは書いている。
「最後にエマの部屋に呼ばれた時は、私は憤慨していてもうこんな事は最後にしてやる、と決意していました。何度も同じことの繰り返しで、私はエマの尻に敷かれているジョセフに対して怒りの気持ちを持ったことを恥ずかしく感じていました。
 でも、今は彼はどうすることも出来なかったのだ、とわかります。
部屋に入ると、ジョセフもいてその顔に完全な絶望が現れていました。あの時の全てを思い出すことは出来ません、でも、エマは私たちが神の前で交わした結婚の契約を破棄すると約束するべきだ、と言い張りました。
 ジョセフは、もし約束したら、いざこざを起こすのをやめ、私たちが他の男性たちと結婚するべきだと言い張るのをやめるか、と尋ねました。エマはそうすることを約束しました。ジョセフは私たちと握手して、これで私たちとの間は終わった、とお互いに理解したのです。
 この後、私は自分の部屋に戻り、ジョセフがやってきて言いました。
「どんな気持ちだい、エミリー?」私の心はまだかたくなだったので、私は短く、こういう状況で誰もが感じる気持ちになります、と言いました。
 ジョセフは、『君にもわかる通り、私はどうすることも出来ないんだよ』と言いました。
そして地面に沈み混んでしまうかの様に見えました。ジョセフが真意をもっていっていることはわかり、私の心は溶け、彼へのかたくなな気持ちは一瞬にして消え去りました。
 でも彼はすぐに出て行ってしまったので私は話をする暇もありませんでした。
エマはジョセフの後を付いて来ていて、彼が出て行った後、すぐに入って来ました。
「エミリー、ジョセフは何て言ったの?」「私がどんな気持ちかと」「彼が何と言ったかちゃんと言いなさい、こんなことはやめさせると決心してるのよ、ジョセフが何と言ったか教えなさい」「言いません、ジョセフは私を喜ばせることは何でも言うことが出来るし、あなたにいちいち報告することはしません、何度も被害が出ていて、あなたも私もこんなことはうんざりでしょう?私は自分が本気であることを彼女に知らしめるような声のトーンで言いました。」
二人がジョセフの家を去ってから、彼は二人にコンタクトをとらなかった。

●1843年10月19日~21日 アルメラ(ジョセフの22番目の妻)の兄ベンジャミンはこう書き残している。
「預言者が私の一番下の妹エテル(15歳)を妻にしたい、と言ってきた。でも、エテルは既に婚約していると言ったら、預言者はイヤイヤ、仕方なしにエテルのことをあきらめた。」


●1843年12月 エマは夫ジョセフのコーヒーに毒を入れた。
1866年10月、半年に一回ある総大会で、ブリガム・ヤング大管長が以下の説教をした。
「私が知る限り、エマ・スミスはこの世で最も悪質なウソつきだ、、、ジョセフが死ぬ6か月前に彼はエマを呼んで悔い改める様に言った。さもないと、神の裁きが下ると。エマはジョセフに毒を盛ろうとしたのだ。ジョセフはエマがこの世で最も悪い女、地獄の子だ、と言った。僕はエマが毒を入れたコーヒーを飲んだが、吐き出して命は助かった、とジョセフは言った、、、私の言っていることは真実だ。2度もエマは夫を毒殺しようとした。」 ( 6-8 Oct 1866, 36th Semi-Annual Conference)

●1844年5月23日、大管長 会の第二 顧問だったウィリアム・ローがジョセフ・スミスを起訴した。罪状は、
 「ジョセフはローレンス家のマリアととサラとオープンに不倫を行っている」だった。

●これに対し、5月26日にジョセフは法廷でこう言った。
「なぜ私には妻が一人しかいないのに、7人もの妻がいると姦淫の罪で訴えられなければならないのでしょう?」
(教会歴史ボリューム6:411ページ参照)

● 1844年 6 月 7 日,ウィリアム・ロー,および そ の 他の 多妻婚に反対する信者たちが,ノーブー・エクスポジターと呼ばれた新聞の創刊号を出し、ジョセフが多妻婚をしている事実を書いた。
 当時市長だったジョセフ・スミスはこれに激怒し、印刷所を焼き払う様に自分の取り巻きたちに命令した。

●ジョセフは逮捕されてカーセージの牢屋に入れられた。

●1844年6月27日 夫ジョセフがカーセージの牢屋で殺された。

●ジョセフの妻の一人、エライザは彼が死んだと知った時、自分もすぐに後を追いたいと思った程愛していた。
でも、 死んだジョセフがエライザの所へやって来て(恐らく霊の体で)、
 ージョセフのこの世での仕事は終わった、でも、エライザの仕事はまだ終わっていない、残った人たちを慰め、勇気づけるべきだー
と言ったという。

●1844年、夫ジョセフの死後にエマは息子デビッドを生んだ。

まとめ

教会はエマ以外のジョセフの妻たちについて何も教えず、ジョセフとエマは心から信頼し合っていたと教えます。しかし、実際はエマが妊娠や子育て、死産で大変な時に夫は他の女性たちに愛を告白し、性的関係を持ち続けたのです。