モルモン教祖ジョセフ・スミスの最初の妻エマは、両親の反対を押し切ってジョセフと結婚しました。その結果どうなったのか?以下はジョセフの妻やその親族・友人たちが残した日記や手紙から引用しています。ほとんどが教会も認める事実です。2部に分けてお伝えします。

①1827年1月 18日,エマ(23歳)とジョセフ(22歳)は駆け落ちして結婚した。
ジョセフは水晶占い師として宝探しの仕事をしていた。これは尊敬されない仕事だったのでエマの両親は結婚に反対したのである。

●1828年6月15日,エマは男の子を出産したが,その日のうちに死亡。

●1829年4月、ジョセフは金版の翻訳を始めた。エマはその筆記者を務めた。

●1830年 ジョセフはエマの友達のエライザ・ウィンターズに不適切な行為をした、と非難された。エマのいとこのリーバイ・ルイスか所有していた供述書にそう書いてある。「だからジョセフとエマは突然ペンシルバニア州ハーモニーを去ったのかもしれない」とモルモン歴史家ヴァン・ワグナーは考える。

●1831年 エマは双子を産んだが,二人とも死亡。
翌日,友人の女性が男女の双子を出産したが死亡したので、エマとジョセフはこの双子を養子にした。
そして二人をジョセフとジュリアと名付けた。

●1832年、ジョセフとエマがジョンソン家に7か月滞在していた時双子の一人がはしかにかがった。
ジョセフ・スミスが看病していたが、40~50人の暴徒が夜中に押し入り、彼を外に引きずり出し、たたいてタールを塗って羽をつけ、彼の服を引きちぎり、去勢しようとした。デニソン医師が去勢手術をするために来ていたが、ジョセフの哀れな姿を見てかわいそうに思い、手術を拒んだ。複数の証言が医者がいたことを証言しているので、暴徒たちが、ジョセフが不適切な性的行為をしていたと思っていたのは確かだ。
 赤ん坊ジョセフは寒さにさらされて死亡した。
エマはジョセフの姿を見て気絶した。そしてタールをはがす度に肉が剥がれ落ちるのを見て自分も苦しんだ。

●1832年11月6日,エマは男の子を産み、ジョセフと名付けた。このジョセフが後にジョセフ・スミス三世となり、自分こそがジョセフの後継者であると主張し、ユタ州の末日生徒と対立することになる。

②(結婚じゃなくて不倫かも)1833年頃  
 27歳の夫ジョセフは、自分の家で住み込みのメイドをしていたファニー・アルガー(16歳)とエマに内緒で結婚した。エマはこれに気づき、夜中にファニーを家から追い出した。実の娘の様にかわいがっていたファニーを追い出すにはよっぽどの理由があったのだろうと教会では預言者の不倫のうわさが流れた。
 ジョセフはオリバー・カウドリを呼び、エマをなだめようとした。オリバーは二人の仲をとりもとうと力を尽くしたが、ジョセフが不倫をしたとエマから聞かされ、ショックを受け、この時を境にジョセフへの完全なる信頼を失った。
ジョセフに一番近かった エマとオリバーが全くこの件に関わっていない為、ファニーとの関係は正式な結婚ではなく、ジョセフの不倫行為だったと解釈する声も多い。

●ジョセフは、「1834年から1842年の間に3度天使の訪れを受け,行動を起こすのをためらっていた多妻結婚を始めるように命じられた」と告げている。「3回目の訪れのとき,天使は抜き身の剣を携えて来

て,戒めに完全に従わなければ滅ぼすとジョセフを威嚇した」という。

●1834年 ジョセフはこの頃、神からメリー・ライトナーを妻にせよ、と命令された。後にメリーはジョセフの9番目の妻になる。

●1835年、エマはジョセフの教会で賛美歌を選定し、末日聖徒の賛美歌集の初版を出版するのに貢献した。

●1836年6月20日 エマは男の子を産み、フレデリックと名付けた。

●1837年11月 ジョセフがイエスから命を受けて建てた違法な「カートランド安全協会アンチ銀行会社」が倒産し、ジョセフの銀行に投資して損害を被った投資家たちから訴えられ、13回程にも及ぶ裁判を受けた。
 信者たちは彼を釈放する為に一生懸命金を準備した。この最中に、ジョセフはカナダへ5週間の伝道へ行った。

●1838年 エマが男の子を産み、アレクサンダーと名付けた。

③1838年3月14日、32歳のジョセフはエマと一緒にハリス家に2か月滞在した間に、エマに内緒でジョージ・ハリスの妻ルシンダ(36歳)と結婚した。

●1840年6月13日、エマは息子を産み、ドン・カーロスと名付けた。 

●1840年の7月~1841年9月、ジョージが伝道へ行っている間にジョセフとルシンダは夫婦の親交を深めた、と思われる。

④1841年4月5日、エマに内緒でジョセフが26歳のルイーザ・ビーマンと結婚。多妻婚だとバレないように、森の中で、ルイーザは男装をして式を執り行った。

●1841年8月半ば 息子のドン・カーロスがマラリアで死亡。

⑤1841年10月、ジョセフがエマに内緒でジーナ・ハンティントンと結婚。ジーナは既にヘンリー・ジェイコブスの妻で彼の子も身ごもっていたので求婚を拒否したが、ジョセフが「結婚してくれないと私は天使に切り殺され、神の御業が成就されない」とせがんだので、結婚した。ジーナの夫ヘンリーはこれを承諾した。

⑥1841年12月11日、ジョセフがジーナの姉で既婚者のプレセンディアと結婚。夫ノーマンもエマも結婚式に出席していないので、二人は恐らく知らなかっただろう。

●1842年の初め、ジョセフがヒーバー・C・キンボールに「あなたの妻バイレイトを私の妻に与えるようにと主が命じました」と言った。ヒーバーは心からバイレイトを愛しており、初めはこの要求をはねのけたが、3日間苦しんだ後、承諾した。しかし、ジョセフは「これはあなたが持てる全てを差し出すかどうかのテストでした」と言い、バイレイトとは結婚しなかった。

⑦1842年1月 ジョセフがエマに内緒で未亡人のアグネスと結婚した。アグネスの夫は何と、ジョセフの実の弟のドン・カーロスで、一年前に病死している。

●1842年2月6日 エマは息子を生むが、その日のうちに死亡。

⑧2月8日、エマの赤ん坊が死産した2日後に、ジョセフはエマに内緒で23歳のシルビア・セッションズと結婚。シルビアの夫ウィンソーは忠実な末日聖徒。
 シルビアは死ぬ間際に娘のジョセフィンに「実は、お前は予言者ジョセフの娘なのよ」と告白する。DNA検査の結果、ジョセフィンはジョセフの実子ではないとわかった。しかし、この告白は、ジョセフが既婚者の妻とも肉体関係を持っていた事実を証明している。
 5番目の妻ジーナも「それは誰かに話すにはあまりにも神聖で、私にとっては生きるか死ぬかの問題だったのです。何年もの間、安どの息を吸うことが出来なかったくらいでした。」と書き残している。ジョセフの妻たちの多くがこのように苦しんだのである。

●1842年2月の始め ジョセフは、既婚者のメリー・ライトナーに求婚し、
「多妻婚に従わないとジョセフは天使に滅ぼされる。メリーは生まれる前からジョセフのものだ、メリーが16歳の時に既に神はジョセフにメリーを妻にめとるようにと命じた。ジョセフと彼と共にいる人々は神の王国に行く」と言った。
 メリーはこれを拒絶した。

⑨1842年2月末 ジョセフがメリー・ライトナーと結婚。メリーは天使を見た経験をしてこれが答えだと思って承諾したのだ。彼女の夫は非モルモンだったので、彼もエマもこの結婚を知らなかったと思われる。

⑩1842年3月9日 ジョセフがエマに内緒で47歳のパティ・セッションズと結婚した。パティはジョセフの8番目の妻シルビアの母親である。ロマンチックな関係はなく、パティはジョセフが若い女性たちに求婚するのを促すメッセンジャーとして働いた。

●1842年3月17日、女性たちの助け合い組織、扶助協会が設立された。エマは初代会長として、自宅を開放し、病人や孤児、ホームレスを住まわせた。しかし、扶助協会の副会長や書記はほとんどがジョセフの秘密の妻となっていくのだ。

●扶助協会の会長、エマ・スミスは扶助協会を使って、一夫多妻のうわさを鎮圧しようとした。
 1842年3月24日、明らかに、エマはアグネスがジョセフと結婚したとうわさで知っていた。
扶助協会の集会でエマは次の様に姉妹たちに頼んだ。
 「クラリッサ・マーベルが予言者ジョセフについてウソのスキャンダルを流した罪に問われています。皆さん、知恵をもって、クラリッサに悔い改めを促すような計画を練って下さい。」と。

アグネスは、友達だったクラリッサの為に次のようにエマに抗議した。
「クラリッサは私と1年ほど一緒に住んでいますが、彼女に悪いところなどありません。」

にも関わらず、ハナ・マーカムがクラリッサを面接する任につかされた。恐らく、エマはこの時、まだ 夫の多妻婚のうわさを信じていなかったのだろう。

⑪1842年4月、ジョセフがエマに内緒でマリンダ・ジョンソンと結婚。
マリンダの夫オーソンはエルサレムへ伝道中で、彼もエマも恐らくこの結婚を知らなかった。

⑫1842年の春、ジョセフが既婚者のエリザベス・ダーフィー(51歳)と結婚。10番目の妻パティと同じく、若い女性たちをジョセフの妻にリクルートする役目を果たした。

●1842年4月9日 ジョセフがナンシー・リグドン(19歳)に求婚するが、ナンシーはこれを拒絶した。ジョセフはマリンダ・ジョンソンにナンシーを説得するように頼むがナンシーはこれも拒絶した。
 ジョセフは今度はラブレターをナンシーに届けさせ、
「幸福になることが人生の目標であり、“ある状況下では悪いことでも、別の状況下では正しいとみなされる」と口説いた。
 これで憤慨したナンシーがジョセフから求婚されたことを父親に暴露。怒り狂った父親シドニーに、ジョセフは「求婚などしていない」とウソをついたが、手紙を見せたら「あれはナンシーの誠実さ試しただけだ」と言い訳した。

⑬1842年6月29日前に、ジョセフが54歳で既婚者のサラ・クリーブランドと結婚。サラの夫ジョンは非モルモンであったので、この結婚については彼もエマも知らなったと思われる。サラは扶助協会でエマの福会長で、エマと一緒に、多妻婚のうわさを鎮めようとした。しかし、自分がジョセフの妻であることをエマに言えなかった。

⑭1842年 ジョセフが未亡人のデルセナ・ジョンソンとエマに内緒で結婚。デルセナはルイーザ・ビーマンと住んでいた時もあり、ジョセフが経済的に援助していたと兄のベンジャミンが書き残している。

●扶助協会にて、
ハナ・マーカム姉妹とビリングス姉妹がクラリッサを面接し、クラリッサの無罪を確定した。
 そこでエマの副会長、サラ・クリーブランドが
-エリザベス・ダーフィーとエリザベス・オールレッドがクラリッサを非難した人たち(ローラ・ジョーンズとハナ・バーゲス)を取り調べるべきだ、とした。

しかし、この時すでにクリーブランドとダーフィーはジョセフの妻になっていた。滑稽だ!ダーフィーはためらったが、エマはどうしても取り調べをしろ、ときかなかった。
 3日後、クラリッサは以下の供述にサインをしている。
「私は大管長スミスまたはアグネス・スミスの行動や会話に関して、どんな時もどんな場所でも、適切でないことや徳高くないことを聞いたり、話したりしたことはありません。」
 明らかに、エマの疑いはこの後、薄れて行った。クラリッサについての話はこれ以上、扶助協会の議事録に出てこない。

パート2はこちら下矢印下矢印

 

参考資料

現役末日聖徒トッド・コンプトン氏の本「聖なる寂しさの中で」(In Sacred Loneliness)

FAIRE MORMON