JWオンリーの保育所 | エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

jw.orgにいた2世がjw.orzになり、やがてとあるプロテスタント教会のしがない牧師にと流れ着いたある男の徒然草。
新潟県のエホバの証人元2世の戦友が出会えるきっかけの場になればいいかなー

浜田省吾の歌で「DANCE」という曲がある。



この曲に、このような詞がある。

デスクに頬杖ついて 想い出す子供の頃

浜田省吾がこの曲を発表した年齢を数年過ぎた歳になっているのだが、私も時折子供の頃を想い出すことがある。
もちろん、JW絡みの想い出ばかりであるが。

これまで想い出すことがなかったことで、最近ふと想い出したことがある。
タイトルに記したJWオンリーの保育所のことである。

保育所といっても、ちゃんと整った施設があったのではない。
「館長」である同じ会衆のT姉妹が居室として借りていたアパートを開放して営まれていたものなのである。
名前は「そらまめこども館」であった。
この名前はご存知の方はご存じであろう、「仲よしこども館」のパクリである。

そらまめこども館は、週に2、3回「開館」していた。
通っていた子供たちはみんな、JWの子供たちで、10人くらいいた。
同じ会衆の子供がほとんどだったっけ。
もう30年くらい前のことなので忘れていることが多いが、お遊びタイムや読書タイムがあった。
お昼のお食事タイムはもちろんエホバへの食事前のお祈りつき(笑)

そらまめこども館には、私が小学校に入学するまで、1年半か2年くらい通った。
私が「卒園」すると同時に、このこども館は「閉所」した。
「館長」であるT姉妹が道外に転居するためであった。

まだ雪深い2月か3月に、お遊戯会兼閉館式が催された。
通常使っていたアパートの居室では狭いためか、同じ会衆の別の姉妹の家をリビングで行われた。
歌を歌いながら踊ったりしたっけ。

4月に入って、T姉妹は引っ越した。
数年経った後、地域大会か何かの機会があって来道し、久しぶりに会った記憶がおぼろげながらある。
御健在であれば今は60代か70代のはず。お元気なのであろうか。

****

無茶苦茶な教義で束縛が多いJWを否定し脱出したとしても、そこでの想い出を全部否定し消し去ることはできない。
良くても悪くても、現在の自分を形成している過程の一部分であるのだから……