おもひでぼろっぼろ~地域大会篇~ | エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

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jw.orgにいた2世がjw.orzになり、やがてとあるプロテスタント教会のしがない牧師にと流れ着いたある男の徒然草。
新潟県のエホバの証人元2世の戦友が出会えるきっかけの場になればいいかなー

地域大会の季節であります。

私が現役2世だったのはあのオウム事件の年まででありますが、出身地である北海道の地域大会は、こんな由緒正しき施設で行われていました。

こんな時計が、

(とあるブログより借用)

あちらこちらに設置されている公園の中にある、

(北海道庁サイトより借用)

1972年に行われた札幌冬季五輪の会場であった、真駒内屋内競技場であります。
札幌五輪のフィギュアスケート競技中に、ジャネット・リンがすっ転んだ伝説の地です。

たまーに、こんな施設で行われる年もありましたが。

(ウィキペディアより借用)

北海道立産業共進会場です。
最寄りの地下鉄駅から20分くらい行軍しなければ会場にたどり着けません。

さて、本題のおもひでぼろっぼろであります。

~その1~

確か、1984年か1985年の地域大会であったと思います。
会場は真駒内屋内競技場。

前日の設営の自発奉仕に私の親が申し込み、私と妹もそれに連れて行かれました。
行ったとしても、ただの足手まといにしかならないんでありますけれども。

会場となるこの建物ができたのが札幌五輪の2年くらい前で、その当時で築14年か15年。
建物や設備が少しくたびれ始める時期でした。
観客席通路のステップの滑り止めも破損していたりしていました。

その時、どこかの会衆のある兄弟が工具を取り出して、壊れた滑り止めを修理してしまったんでありました。

あの当時は「良いことをしている」とガキンチョながら思っていたんでありますが、後々考えたらこれは問題ですよね。
所有者・管理者の許可なく設備をいじくっているのですから。
まあー、よくこんなことをしでかしたもんだと思いますね。
まだまだ大らかな時代だったからお咎めもなく許されることだったんでしょう。

あの頃はJW赤丸急上昇中の時代でありましたが、まだそんなに多く分散して開催されていませんでした。確か札幌A・Bだけだったはず。
1階にもパイプ椅子を並べ、さらにはステージ周辺にシートを敷いて土足禁止の正座席も設けてありました。
今では全くあり得ない席の作り方でしたね。


~その2~

1988年か1989年の地域大会だったでしょうか。
この年の大会は、例年と異なる、それこそ由緒正しき施設で行われました。

(北海道庁サイトより借用)

札幌五輪の開会式の会場であった、真駒内屋外競技場であります。
椅子はロイヤルボックス以外背もたれなしのプラスチック製のベンチ。

その当時の大会は4日間日程でした。
そのうち2日間は雨。
講演者は前面ガラス張りのプレハブの中で喋っているので、雨に打たれずに済んでいましたが、2階の観客席に座っている私たちは雨に容赦なく打たれるわけでして。
写真の通り、屋根などありませんから。

雨合羽着て傘を差しながらプログラム聞いていたら聖書を開いたりメモをとるのがちょっとややこしい。
で、我が家を含め複数の人がやったのが、
大きな透明の漬物袋を2枚用意し、そのうち1枚の袋の底を切り取り、もう1枚の袋とテープで連結し足先まで入る袋を作り、顔の部分に空気穴を開けて頭からすっぽりかぶる
というもの。
ゴミ袋だと薄くてダメです(笑)

まだまだ湿度が低く涼しかった頃の札幌だったからこそできる芸当ですよね。
津軽海峡から南でそれをやったら蒸し風呂地獄になります(藁)

空気穴から雨が少し侵入したりはしたものの、2日間の雨をそれで何とか切り抜けました(苦笑)
今更ながら、よくこんなことを思いついたよなー、と思います。

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他にも、朝のプログラム終了後に全力ダッシュして弁当をゲットしていたのをマークされてしまい、迂闊にも外すのを忘れた名札を会場整理か誰かがチェックしてメモったのか、会衆の長老か誰か経由で親に注意が入り後で叱られたことや、苦行だらけの大会であるにもかかわらず、大会の最後になると日常の戦場に戻るのが嫌でいつも泣いていたことなどの、私の半生から抹消したい思い出や、会衆の区域割の変更で他会衆から転入した2世の女子高生が、地域大会でめでたくバプテスマを受ける時に、元の会衆の親衛隊から「ヒョ~」と歓声が上がったエピソードなどいろいろありますが、長くなったのでこの辺で。