今思うこと | エホバの証人(JW)について考えるブログ

エホバの証人(JW)について考えるブログ

弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

前回書いた内容までで、私がブログを書き始めたときに「本当に書きたい」と思っていたことは、すべて書き終わりました。

 

当初は、「真理の嘘を確信する」というところまで書くつもりでいました。

 

「文鳥と死体」の話は、世の中には様々な状況にある方がおられることをここ10年以上の弁護士業務を通じてよく知っていましたので、書くべきかどうか本当に悩みました。今でも書くべきだったかどうか悩んではいますが、表現を最大限抑え、具体例になるべく触れないように調整することで自分との折り合いをつけ、この話についても結局、書きたいことは書き終えることができました。

 

思えば、大学に入ってからの衝撃を受けつづけた毎日の日々の中で、「いつかこの内容を誰かに共有しないといけない」と20年思い続けてきた内容を、非常に不十分な形とはいえ、なにがしかの形で書き終えることができましたので、今後、これがどなたかの何かしらの役に立つことがあればとてもうれしいです。

 

自分が書きたいことを書き終えたのちにこのブログをどうするか、特に決めていませんでしたし、再校して文章や構成を整えた上でこのまま放置するという選択肢もありましたが、「終わってしまうと寂しい」という誠にありがたいご意見を多くいただきましたので、皆様からお声がけいただくテーマについて、今までとは違い、ずっとゆっくりのペースで続けていこうかと考えております。

ですので、これまで繰り返し述べてきたように、皆さんが書いてほしいと思うテーマをご提案いただければ、こんなに嬉しいことはありません。

 

現在のところ、K姉妹とはどうなったのかというお尋ねと、最高裁の剣道拒否事件判例についてどう考えるかというお尋ねをいただいていますので、この点について、ゆっくり書いていこうかなと思っている次第です。

 

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以上がブログについての考えですが、今自分が思うことをもう少し書いてみたいと思います。

 

私は、いつか、エホバの証人組織についての統一的で信頼できる専門的情報・整理された分析、解説を公表する人が現れること、

そして「世間がその人のことに耳を傾けるであろう立場にある人」が広く世間一般に向けてそれをしてくれることを強く望んでいます。

 

私は2001年ころから、エホバの証人についてのインターネット上の情報にアクセスするようになりました。

 

自分の知る限り、この20年の間(あるいはその前)に、少なくとも6人の元エホバの証人の方が、本または漫画本を発行し、JWとしてのご自身の経験を公表し、それに基づいて「エホバの証人の実態」を世間に知らせてこられました。

 

こうした活動は非常に大きな功績を残したと思います。

 

そして、日本の元エホバの証人社会は、今や別のステップに進むことも考えるべきであり、そうした別のステップへの移行を行う人がさらに現れるべきではないかと強く感じます。

 

・これら幾人かの方が出版された「元エホバの証人としての自伝的書籍」はエホバの証人の実態を世間に知らしめるという意味で極めて大きな意義を持ちます。

それと同時に、世間がそれをどういう視点で見るかというと、「一信者が経験したつらい個人的経験」・「世の中にはこのような大変な世界があるのか」という視点かもしれず、ある意味、「エホバの証人ってそんな宗教なんだ、いやだね」という印象を与えることで完結してしまう可能性もなくはないかもしれません(その印象を引き起こしてくれただけで十分すぎる功績なのは言うまでもありません。)

 

・また、これら出版されてきた本は、多くの元エホバの証人にとって、強い共感を覚えるものでしょうし、エホバの証人問題について世間に知ってもらえるという意味でとても心強く、嬉しく感じるものであり、こうした意味でも非常に多くのこと成し遂げてきたと思います。

それと同時に、これらの情報はエホバの証人関係者の目からは、「自分が経験したことと同じことが書かれている」ことでもあり、それゆえに共感や勇気付けを与えてくれるのですが、そこから新たな世界観や自分の過去についての清算・解決の方法を具体的に得る、そして心と考えを整理してその後の人生を切り開いていくという点について言えば、そうしたものを提供することはもともとメインの目的とするものではないかもしれません。

 

(※繰り返しますが、これらの本は非常に多くのことを成し遂げてきたと思います。何かの情報提供をする際には「その目的」が必ず存在しますし、こうした書籍は、その「目的」を十二分に達成してきたと思います。

もとより1つの情報提供が「ありとあらゆる様々な目的をなんでもかんでも達成する」ことは、物理的にないことだと思います。

したがいまして、既存の書籍に何か足りないものがあるかのような指摘をする意図では「全く」ありません。

「自分も本を書いてみろ」と言われてもできないでしょうし、仮に書いたとしてもこうした方たちの書籍ほど世の関心を引くとも思えません。)

 

そのうえで、私個人のぼんやりした夢を言えば、

・ある意味客観的な学問的視点、具体的には社会学的視点から「エホバの証人問題」を分析し、そしてそこに法律や心理学の視点も加味され、多くのエホバの証人関係者が「エホバの証人とは何なのか」「それにかかわった自分の人生はどういうものなのか」を論理的に理解し、整理し、それぞれの人生を歩んでいける内容、

さらには、エホバの証人とかかわりのない人たちが「エホバの証人問題」を深く理解し、社会全体がこの問題に対処するための術を与えてくれる内容、そうした対処が必要であるとの強い意識喚起をしてくれるもの、

いつかそうしたものが公表されることを強く願っています。

 

※つまり、「社会全体が取り組むべき問題である」ということを一般社会に理解させる理論的な情報提供がなされることを望んでいます。

現在、欧米では、「エホバの証人組織による児童性虐待の隠蔽」が、苛烈ながらも正真正銘の正当な方法で法的にもマスコミからも追及されており、「懲罰的損害賠償制度」を利用して、エホバの証人組織の存在自体が強く問われています。これに対してはエホバの証人組織も打つ手はないでしょうし、全く言い訳ができず、連鎖的にこの団体の問題が次々に社会全体に広く露呈しています。

そしてこれは、まずは欧米各国の社会全体が、エホバの証人にまつわる問題(教育の否定・社会との隔絶・忌避問題・輸血拒否などの深刻な人権問題)を意識し、「何とかしなければいけない」と気づいていること、そして、そのような問題に気づきながらも「信教の自由」があるためにその宗教信条自体は攻撃できないでいたところ、「組織的児童性虐待の隠蔽」という突破口が見いだされたので、そこを糸口に一気にこの団体の問題点が暴露され始めていることによると感じます。

つまり、「エホバの証人の引き起こす問題は社会全体が取り組むべき問題である」という認識が欧米の動きの背景にあると考えますし、日本もそうなるべきであると感じています。

 

ただ、こうした客観的で専門的な分析についての発言ができる人といえば、こと日本について言えば、おそらくは大学の教授や医師などでないとどうしてもできないと思います。

 

つまり、①第三者的な客観的視点を持つ人で、②かつ、何らかの分野の専門家で、③さらに、エホバの証人の実態に相当詳しい人でなければならないと考えます。一般世論がそういう見方をするからです。

 

※上述の繰り返しになりますが、私が考えること、感じることは「役割分担」の必要です。心に響く真実の暴露に成功し,先駆者として道を開いてくれた人たちがいてくれたことを前提として、さらにほかの役割も担う人の必要性です。医学・統計学・社会学・心理学・法律学・客観的な宗教学等の視点に基づく情報提供も、そろそろなされるべき時期ではないかと感じるということです。

 

残念ながら、現在のところ、そうした立場にある人で、実名を出してエホバの証人関係者であることを公表する人はいません。

 

この点で驚いたことに、自分が弁護士になった後に、そうした社会的立場にあるエホバの証人関係者がかなりの数いることを知りました。

 

数々の大学の教授たち、その中には医学部の教授もいましたし、

また、世界有数の巨大企業の取締役をしている人もいました。

臨床医師に至っては、驚くほど多くの方たちがいます。

 

そして、こうした方たちが、これまで長年にわたり、全く見えないところで、私たちを信じられないほど助けてくれていたことも知りました。

例えば、私を含めた多くの人が、現在、「エホバの証人の偽善を示す動かぬ証拠」と考えてネット上でアクセスできる決定的証拠のいくつかは、かつて、そうした人たちがJWICを作った村本先生などに協力して情報提供していたことなども知りました。

 

そうした方たちの中で、エホバの証人問題について、顔と名前を出して語ろうという方は、現在のところ全くいません。

それにはそれぞれの方なりの深い理由があると想像します。

社会の目が変わること、現役エホバの証人の親族に深刻な影響が及ぶこと、或いは忙しすぎてそのような活動はできないこと、今行っている活動が充実していてそうしたことに関心が薄らいでしまっていること、理由は様々でしょうが、極めて合理的で動かしがたい理由がたくさんあるのだと思います。

 

これまで「一当事者の個人の経験談」を勇気をもって公表した先駆者がいる中で、いつか誰かが、そうした分野・視点とはまた別物として、広く世間一般が「客観的視点でエホバの証人組織についての実態を語る信頼できる人」とみなす人が、この組織の実態について、何かの形(おそらく書籍またはウェブサイトの形)で公表し、多くのエホバの証人関係者を救ってほしいという気持ちは強まるばかりです。

 

私について言えば「社会での実績」という意味では全く不十分ですし、

自分の過去を公表することで自分が失うものも多く、今現在一緒に仕事をしている方たちに迷惑が及ぶかもしれません。

したがって、そうした活動に打って出ることは、現時点では力不足も甚だしいでしょうし、大きなためらいもあります。

 

ただ他方で、そのように考えて時が流れるうちに、多くのエホバの証人の人たちが人生を無駄にし続けるのを放置し続けるのも大変辛いことです。

私が今回ブログを「再開」してショックを受けたのは、もともと私はこのブログを2013年に始め、2016年に一度休止したのですが、

「2016年以降頃からエホバの証人について悩むようになり今回このブログを見て目が覚めた」「もっと早くこのブログに出会っていれば人生が違っていたかもしれない」と言ってくださる方が多数おられたことです。

自分があの時やめなければ、幾人かの人の少しの助けにでもなれたのかもしれないと思うと、大変に悔やまれました。

 

そのようなわけで、いつの日か、私は、力不足と分かっていても、なにか正式な形で「エホバの証人の実態についての公表」に関わる活動をできればと思っています。

またその際には(或いはその前でも)、その活動に協力してくれる強い味方が現れてくれればとも思いますが、そうした人が現れなくても、たった一人であっても、どんな犠牲があったとしても、いつの日か、「人として」そうしたことをしなければならないと考えています。

その努力や貢献がごく僅かなものでもしなければならいのではないかと思います。

 

やや混乱した、まとまりのない考えかもしれませんが、今思うところを正直に書いてみました。

これを見て皆さんがお感じになることを、何かの方法で教えていただければ、大変うれしいです。