そんなこんなで、言語訓練コースの教訓者用クラスの、しかも前段階の実験的クラスに参加することになりましたので、
そのクラスのことを書いてみたいと思います。
ずいぶん前の時期の話ですし、私はJWとしてのやる気が以前よりも低下し始めていた時期で、しかも、授業はすべて英語・周りはほとんどネイティブの中で「果たしてやっていけるのか」という不安感もあり、かなり暗い気持ちで参加しましたのであまり覚えていない部分も多いのですが、一応、覚えていることを覚えている順につれずれに書いてみたいと思います。
【出席者たち】
①まず、行ってみたら本当に、北米の外国語教育機関の学長らしき人で、しかもエホバの証人の兄弟という人がいて、その人が一人ですべての授業を行う仕組みでした。この「外国語教育機関」が正規の大学だったのか、短大だったのか、ただの専門学校だったのか、はたまた単なる語学教室だったのか、当時の私にはよくわかりませんでしたが、「希望して教育を受け続ければ修士号や博士号も取れる」という話をされたので、大学だったのかもしれないと私は認識していました(のちに正体が何となく判明しましたが)。
②海老名べテルからは、「海外支援部門」のA兄弟が参加していました。以前も書きましたが、このA兄弟は、当時はものみの塔の朗読テープや地域大会の劇の声優役をやっていたかなり有名な兄弟でしたので、べテルでは部門監督だったのかもしれません。今もJW.orgを聞いていると、このA兄弟が吹き替えの声をしているのを聞くので、今もべテルに引き続きおられるのだと思います。
(これも以前書きましたが、当時のエホバの証人組織の態度に非常に大きな疑念を抱き始めていた私に、最も親切で、核心に迫るような助言をしてくれたのはこのA兄弟でした。)
A兄弟は、最初から最後までカナダの先生兄弟にピッタリくっついていましたので、べテルとしても相当にこの「新しい取り決め」に関心があるのだなあと感じたのをよく覚えています。
また、支部委員の家族も何人か参加していましたので、この点は少し驚きました。
③それ以外に参加している兄弟姉妹といえば、私以外は全員が英語会衆の人たちだったと記憶しています。
私は自分の英語力に非常に不安を感じてビクビクしながら参加していたのですが、英語以外の言語を教える方法への応用も必要だったということもあり、カナダ人なので英語以外にフランス語が話せる人、アメリカ人だけど中国系なので中国語が話せる人と並んで、英語以外の言語のほうが得意だった私は重宝され、すこしそれで安心した覚えがあります。
【課程の内容】
そのときの教育課程の内容ですが、当時の私は非常に勉強になったと感じました。
このカナダの先生兄弟の説明で、英語圏では、「英語を外国人に教えるための効果的な教育方法」が確立されていて、その教育学問のことをTESOL(ティーソル)と呼ぶのだと教わりました。TESOLというのは、Teaching English to Speakers of Other Languageの略だそうでした。
①まず、「外国語を教えるときの心構え」のようなものを最初に教わり、これは、教育心理学の基礎の基礎を教えていたのだと思います。
「生徒が間違えたり、わからないことがあったりしたときに、絶対に生徒の人格を否定してはいけない。『間違えたり、わからないから』教わりにきているのであって、間違いもせずわからないこともない人であればそもそも教えることはなく、自分たち教師の存在も必要としない。わからないのが当然だという前提で教え、励ますことが必要」といわれ、このことはその後の人生でも大きく役に立ちました。
②また、これもよく覚えてはいないのですが、言語を処理するときの、脳の機能についての基礎の基礎の教育もされた覚えがあります。
新しい言語を脳がどのように処理するかを簡単に学んで、「とにかく話せるようにする」にはどうしたらよいのかの基礎的説明でした。
少し面白かったのは、この時に、「メモの取り方」についても学んだことでした。
エホバの証人の集会や大会では必ずメモを取ることを指示されますが、どんな人でも、横書きのノートに、箇条書きに上から羅列して書くのが普通だと思います。ところがこのカナダの先生兄弟は、「小さなテーマについていくつか文章を書いたらそれを大きく楕円で囲み、また別のテーマを書いたらそれをまた大きく楕円で囲み、そして大事な大きなテーマについての別のメモ文章にそれを『吹き出し』のようつなげて、全体のメモが、大きな木の幹と枝、葉っぱのような形にする」方法でのメモの取り方を教えました。このほうが、より理論的に頭に入るという説明でした。
新しい物好きの日本のエホバの証人社会では、「アメリカではやっている」とか、「べテルの兄弟がみんなそうしている」と聞くと、情報通の兄弟姉妹がそれをどこからか聞いてきて真似をして自慢するということが良くありましたが、この、90年代後半から2000年代前半くらいに、集会や大会でこういう「木の幹・枝・葉っぱ」のような形で、吹き出しを使って絵を描くようなメモが流行ったことがなかったでしょうか?
私はこの語学訓練コースがその奇妙なメモの取り方の発祥だと思っていますし、物事を形だけ真似したがるエホバの証人社会の典型的な現象の一つだったのではないかなと理解しています。
③そのような、ある程度の基礎理論を学んだあとに、実際の「外国語を教えるときの効果的な教え方」について、とても具体的で実践的な方法を勉強しました。
このカナダの兄弟先生の説明によれば、TESOLでは、30個だったか40個だったか、とにかく効果的に外国語を教えるための具体的な教育方法があるので、それを1コマに1つづつ学んでいく、という説明でした。例えば、
ⅰ.体を使いながら単語を覚えることで、正しい発音習得と突発的でも外国語が出てくるという効果が期待できるので、生徒全員で輪になって、ボールを投げあいながら数字を覚えていくとか、
ⅱ.単語だけひたすら覚えても「しゃべれるようにはならない」ので、文章1つを丸暗記し、その「覚える文章」が書かれたホワイトボードの横に単語をたくさん書き並べておいて、その覚えた文章の「一部分の単語だけを入れかえて」いろんな文章をしゃべれるようにするとか、
ⅲ.同じく難しい単語をいくら数だけ覚えても「しゃべれるようにはならない」ので、極めて基本的な動作、例えば、「カップラーメンの作り方」、要するに、「やかんに水を入れ、ガスコンロのガスをひねって火を出してお湯を沸かし、カップラーメンのふたを全部ではなくて半分くらいはがしてお湯を注ぎ・・・・・」というような、極めて基本的な日常動作なんだけど外国語で言うとなると非常に難しい言葉をとても細かい部分まで駆使して説明ができるようにするとか、
ⅳ.正しい発音が耳と脳に残るように、スペルを書かないで「基本動作」、例えば「歯を磨く」とかを動作だけで示して、「歯を磨く」という言葉を連続して発音して伝えて、生徒にオウム返しで言わせて覚えさせるとか、
ⅴ.新しい単語を教えるときに、その単語の意味をいきなり日本語で教えてしまうのではなく、その単語の意味が分かるように英語だけでかみ砕いた文章で説明してその単語の意味を理解させて覚えさせるとか、
要するにそのような「確立された効果的な外国語教育方法」が30か40あるうち、時間が許す限り、そして、ごく初歩的な人に教えるのに使えるものばかりを選んで学び、みんなで実践してみるというものでした。
【その時の感想】
すでに書いた通り、私はもう霊的なことへのモチベーションが下がり始めていたときだったので、以前のようにハイテンションで大喜びでこの課程に参加する感じでは全くなかったですし、すべてが英語で行われるので、いつみんなの前で恥をかくのかと本当に緊張してビクビクする毎日だったのですが、それでもなお、終わってみれば、それなりに勉強になったし、参加したことに後悔はないなと感じました。
おそらく自分は実際のべテル主導の「言語訓練コース」の教訓者などをすることはないだろうという気持ちから、
何とも言えない複雑な感情を抱きながら課程を修了したのですが、
そこで学べた内容や、そこでの新たな出会いは楽しいものではありました。
そこで、T兄弟と住んでいた家に戻ってから、
・どのような内容だったか
・どのような雰囲気だったか
かなり事細かにT兄弟にも教えてあげました。
T兄弟はその内容を聞いてずいぶん安心していましたし、
彼が参加するべテルでの課程ではすべての説明につき日本語の通訳がつくということだったので、
そうであれば全く何も心配する必要はないと、とても喜んでいました。
その後、T兄弟は、実際にべテルでの課程に参加して帰ってきましたが、そこでの雰囲気は本当に楽しかったらしく大喜びで、大変に機嫌よく帰ってきましたし、その後しばらくの間、私たち二人の間ではこの「言語訓練コースの教訓者用課程」の内容をネタにした話で盛り上がることが何回かありました。
このように、
・私の中でのこの課程についての評価は上々、
・T兄弟に至ってはこの内容については大喜び、
という感じだったのですが、
ほかの教訓者の中には全くそのように思わない人もいたようでしたし、
大学進学した後、外国語の教育を受け始めた私もまた、この時に感じた内容とは大きく違う印象をその後持つようになりました。