たまたま目にした記事のネタに
興味を持ったので書いてみようと思います。
努力できる人できない人
まぁいますよね。
ただ、なんというか、
そんな一言で
片づけられないなって思うわけです。
努力って、
なんですかね。
その度合いは?
努力したって判断はどこでするの?
とかいろいろ考えてしまうわけです。
なので、努力できる人はどうとか、
できない人はどうとか、
そんなに軽々しく話すことはできないのです。
ましてや、
自分がとても努力したから、
努力すればでできる、
やればできる、
お前もできるとか、
そんなことも言えないわけであります。
そんなの
ただの勘違い野郎じゃないですか。
努力できない人に対して、
それはどうせ努力したくないだけだろ、とか
言ってしまうのはやはり違うと思うのです。
さてさて、
「努力できる人とできない人の違い」
ってなんなのか。
個人的に思うのは、
「環境」
「その環境で育った心」
「持って生まれたもの」
が違うと思うんです。
この3つがうまくかみ合わないと
努力したくてもできないのかもしれません。
環境が悪くても、
そこで健全と呼べる心が育てば
努力できるかもしれません。
逆に
環境が良くても
心が育たないパターンももちろんありますよね。
環境がよくて、
心も問題なくても、
持って生れていない能力は
あってないようなものなんじゃないでしょうか。
ちなみに、
私は運動が得意ではないのですが、
でもきっとできるはず、
という自信を持っています。
ただ、実際はできないんですよね。
いろいろ工夫してみるんですが、
まぁできないですね。
おもしろいですよね、人間て。
なんかよくわからないけど、
できない。
運動はできないけど、
プログラミングは簡単だなって
すごく思うんですよね。
これこそ誰でもできるってまじで思うわ。
結局のところ、
自分のいる場所以外の
ことはわからないんです。
過去に似たような経験をしていても、
自分のいる場所から
見ているものしか見えていないんだよね。
努力できるのかできないのか、
そもそもやっていないのかはわからないけど
それは忘れちゃいけないわけ。