最近いろいろと調べたりしていて、
やっぱり思うのは、
「わかりやすい」という罠について。
そういえば以前にこんな記事を書きました。
悟りに関しては
PNSEのロケーションもそうだけど、
仏教でも段階が用意されています。
十牛図は悟りの道筋って感じかな。
既に、いろいろあるんですよ。
でも、結局全員悟れるわけでもないんですよね。
悟りに対する考え方の根源が、
西洋は、知識を得ることが基本で、
東洋は、体得することが基本となっているんです。
知識を入れていけば、
たどり着ける、
そう信じている人も多いと思いますが、
そうでもないんです。
悟りに関しては、
知識では悟れないんですよね。
最終的には体得しないとなんです。
いくら科学的に検証しても、
体得したってことも、
体得する、できるということも証明することはできないので、
ペーパー的な悟りみたいな人もまぁ出てきますよね。
こういう風に書くと、
この人意地悪言っているのかなって
思うかもしれないのですが、
別になに言われても
全然気にしないからいいけど、
体得しないとわからんからしょうがないのです。