そもそも誰が

言い始めたことなのか

よくわからないのですが、

 

なにをもって

二極化と言っているかというと

「目覚めて生きていく人」

「眠り続けて生きていく人」

 

この2つにわかれるという話です。

「Spiritual Polarization」

と検索して英語のサイトをみても、

そんな話が出てきますね。

 

 

これって、

あたりまえのことじゃないですか??

だって、この世は二極だし。

 

良い・悪い

ポジティブ・ネガティブ

右・左

ある・ない

両方あってあたりまえ。

 

 

二極化が進むとか

進まないとかそういうのは

ないですよね。

 

 

だって、

進むってことは進まないってこと

二極化だから。

 

 

 

この手の話って、

 

エネルギーがどうだとか、

良いエネルギーなって、

助け合う人とつながれるとか

そういう受けのいい話があふれていますが、

 

仮にそうだとしても、

そうなるとは限らないんですよ。

 

置いて行かれないようにって、

はやく目覚めないとと

急かされたり、

されてませんか?

 

私はそいうのは嫌いなんですよね。

 

そうやって誘い込んで、

誘った側だけ潤って、

 

誘われた側はずっと搾取され続ける。

 

お金は幻だとか、

あるにフォーカスしろとか、

そうやって誤魔化し続ける。

 

 

 

 

良いエネルギーが、とか

素晴らしい人ばかりの世界とか

 

なんの根拠もないきれいごとを並べて、

それが何なんでしょう。

 

良いって何をもって言うんです?

 

 

 

どんな世界でも

どんな世の中でも、

 

あなたが何者でも、

 

あなたが

何をしたくて

何をしたくなくて

何が楽しくて

何が楽しくなくて

どんな人で。

どんな風に生きたくて、

生きたくなくて。

 

 

それでいいんですよ。

 

それを大事に生きて行けばいいんですよ。

 

 

 

 

おまけのはなし

 

 

 

ピダハン族という

ブラジルのアマゾン熱帯多雨林の先住民がいるんですね。

ピダハン族は世界一働かない民族と言われています。

 

とても興味深い民族でして。

 

時間の概念もない

左右の概念もない

数の概念もない

 

 

 

この方々は狩猟で生活しているんですね。

その日の分をとって、

みんなで分配して、

 

足りなくても問題と思わない。

 

おなかがすいても問題と思わない。

 

 

あれがダメ

これがダメっていう

概念がないんですね。

 

仏教の概念で「苦」は

思い通りにならない状態のことを指すんですね。

 

それがピダハン族にはないんです。

 

起こることに反発しようという概念がない。

 

 

病気になってもそれも問題だとは思わない

 

うつ・自殺などもほぼないそうです。

(ほぼ、というのが気になるんですけどね)

 

 

いきなり、ピダハン族みたいに生きることは

難しいですよね。

 

ただ、なんとなく、

なぜ人は苦しいのか?

苦しみはどこからくるのか?

 

がちょっとわかってもらえると思います。

 

 

仏教はそれが全部

わかっているんですよね。

(って私はそんなに詳しくなんですけどね)

 

二極化の話で、本当に言いたいのは、

個で苦しんで生きていくのか

全体で生きていくのか、

人類が選択するときだ

ということなのかもしれません。

 

 

 

あなたはどう生きていきますか?