最近よく、雑談力が重要だなぁと感じることが多いです。
色々な立場、経験を有する人が集まった場では
お互いが発する情報による異文化コミュニケーションが価値を生み出します。


発信力がないとコミュニケーションの価値、広がり、深みに
貢献できていないことになりそうです。


誰でもそれなりの人生の経験があり、それは絶対に他者とは異なっているはず。
シェアする気持ち、心がけが大事なのでしょうし、これも習慣かもしれません。


ちょうど、今はお盆の時期。お寺さんが檀家回りに忙しい時ですが、
何かと話をされるお坊さんもいるし、ほとんど雑談なしに
お経だけあげていかれるお坊さんもいます。


我が家の場合、先代の住職は何かと話をされていかれましたが
二代目の住職は口下手なのか?ほとんど余計な話はせずに
挨拶だけしてお経をあげて帰るって感じです。


悪い人ではないのでしょうが、何かしら物足りないというか・・・・
お坊さんは仏教のプロだけに、迎える方もちょっとした法話を
期待したりするのですが・・・・


お経をあげることは最低限のことで、プラスαが価値ではないかと。
自らの専門分野をベースにした経験をしっかりと伝えていくことも
使命ととらえて、シェアしていく姿勢がプロ意識の表れだと感じています。


雑談力は、いわゆるアイスブレイク的な意味合いだけでなく
プロの知識をうまく伝えていくテクニック、武器でもありそうです。