禅の教えで、いかなるものも固定化されたものはなく、その瞬間瞬間における現象にすぎないのだと。移ろいゆく宇宙と自分との関係性だけが真理である、と…そんな風にこの言葉の意味を考えてみましたが、分かったような分からないような。僕の浅い理解では言葉の本当の深みにまで掘り下げることはできません。

 ただ、勘違いであれ、そこから感じ取り、考えたことを書くと、執着することを少なくしていきたいな、ということです。環境も人間の心も時間と共に変わっていきます。変わりゆくものを、変わらないものとして永遠に守り続けたいと人は願います。写真とか映像とか。しかしその気持ちが強すぎると執着を生み、かえって不要な不満や欲望を生むのではないでしょうか。過去は自分の記憶の中にしかありません。何の関係性ももはや生み出しません。どんなに強く思い出そうと頑張ってみても、その時感じた胸の高鳴りは今まさにこの瞬間にはどこにもないのです。


良かった時のまま、時間だけが流れてくれれば良いんですが、執着しても世界は変わり、人も変わり、自分も変わります。変わるものとして新しい関係性を一生築き続けるしかないのだなと、なんだか寂しい気持ちで考えています。

近所に12時まで開いているたこ焼きバーがありまして、よく利用させてもらってます。狭山を出て繁華街に行けば、それなりに評判のたこ焼き屋があり、それを食べるのは些細ではあるけれども非日常であり、長野から出てきた僕にとって、たこ焼きとはこの店と出会う前まで、馴染みあるソウルフードではありませんでした。それが今では「夕食にたこ焼き12個」なんていう選択肢が出てきてしまうほど、たこ焼きにハマっています。今日は学校帰りにソースマヨ6個250円を注文しました。たこ焼きバーなのにお酒を頼まない自分が、客単価が安いことに引け目を感じて店内で食べることを最近控えていますが、帰ってパックを開けてみると、7個入れてくれていました。こういう些細なことって、じわじわと嬉しくなります。


金剛ダイエー前「蛸組」オススメです。

気づけばもう卒業試験間近です。大阪に来て6年目、イマイチ月日の感覚がありません。実習やレポートの嵐に立ち向かっていた日々を振り返れば、確かに長かったと思うのですが、最初の部活で先輩方の練習内容におこがましくもツッコミを入れた記憶や、汗を流した思い出は、ついこの間起こったことのような気がします。

卒業試験は何としても一発で通らなければなりません。そのために今勉強に費やしている日々も、ふと気づけばもう過去になっていることだと思います。