りぼんのナイト -2ページ目

第4話 スタンド「りぼん」

その店の名は「りぼん」。

スタンドりぼん。


初めてりぼんに行った日の事をあまり思い出せない。


たぶん緊張していたのだろう。


電話で聞いた通りの名前と近くの目印となる店を探してまわった。


流川は広島の一番大きな飲み屋街。


まあ他には無いんだけど。。。


店舗密集率では銀座につづくといわれていた。


あの当時たくさんの人が文字通り流れていて、
ちっちゃなスタンドを見つけるのはかなり骨が折れた。


最後は電話して迎えにきてもらったように思う。


店は五階建てのビルの一階の奥にあった。


ビルの入り口には目印として教えられた怪しげな彫刻が
確かに立っていた。


ここは何度かとおりすぎたな。

たしか。


それほど目立たないということだ。


店に入ると奥にむかってのびた長いカウンターがあり、
内側にママとさきがたち、外側に客が座るスタイル。


黒を基調としたシックなお店だ。


客席は10から12というところか。


すでに飲んでた数名の客が見慣れぬ若者の登場に興味を
示していることは誰の目にも確かだった。


さながら、一見さんを値踏みしてるように僕には見えた。


ママが気を効かして僕がさきの高校の先輩であることを
常連さんに説明したくれた。



いや、ただの先輩ではなくて、憧れの先輩なんだよね?



緊張してた僕の放った精一杯のギャグだった。



ぜーんぜん。あの頃うじきさんをオトコとしてみてなかったよ。
さきがおどけていった。



わは、は、は、は。
客は笑った。


僕は引きつった顔を見られないようにするので精一杯だった。


でも、そんなこんなでようやく好奇の目は落ち着いたかに見えた。



ふつうスタンドやスナックは指名制ではない。


カウンタだと、中に2-3人がいるぐらい。


客は10数人入るから一人が5-6人の相手をしなければ
ならない。


だから女の子が一対一でつくことはまずない。


まあ、開店したてだとか、よほど暇な場合は別だけどね。


他にお客さんいたけど、みんなママが仕切っていて
その日はさきが僕に専属で付いてくれた。


だから遠慮なく昔話を楽しんだ。


その常連のおじさんの中に熱狂的なさきファンがいて、
僕にメラメラとライバル心を燃やしているとも知らず。。。


森さん。
歳は60歳ぐらい。
中曽○元総理に似た不動産屋さん。独身。



おじいちゃんに対決を挑まれた21歳の夏の夜だった。


第3話 再会 

大学の卒業を翌年に控えたある日。

実家の電話が鳴った。

さ「もしもし」


「はい。佐藤です。」


私は佐藤明。


広島生まれの広島育ち。

おとめ座のA型。


神経質のナルシスト。そしてちょっぴりロマンチスト。

広島の公立高校を卒業し、東京の大学に2年もアタックしたけど
断られ、しがなく広島の山奥の大学に実家から通っていた。


さ 「さきです。覚えていますか?」

さきと言う名前の女性はほかに知らない。

「舟高の?さき?」

さ「そうよ。覚えててくれたんじゃ。元気?」

「おーなにしよるんやー。わしゃー元気よ。そっちは?」
広島県人ならたぶんみんなこう言うと思う。

ちなみにアメリカ人ならこういうだろう。

What ARE YOU DOING NOW?

I'M FINE THANK YOU AND YOU?


さ「元気よ。」

「おー、さきといえば、まきはどうしたん?おまえらいっつもつるんどったよの。」
※つるんどった:いつも一緒にいた

さきも変わった娘だが、まきも変わっていた。

頭半分刈り上げのパンク少女達。

色も青かったり緑だったりしてた。

さきは巨乳で、まきはぺったんこ。

さきは豪快で、まきは泣き虫。


さきはおおらかでまきは繊細。

さ「まきはね。親の反対押し切って東京の美大にいったんよ。」

まきの親は弁護士で、共産党から衆議院選挙によく立候補していた。

広島は共産党の地盤じゃないし、当選はきつい。

何度も立候補写真見たけど、当選確実のランプを見たことはない。


ひとしきり、数年間のギャップを埋めた後、さきがこういった。

さ「それがね。今おかあちゃんとちっちゃなお店をやっとるんよ。」


「何の店」


さ「飲み屋なんじゃけど、そんなに高うないけーよかったら今度遊びにきてね。」


今考えると、ただの営業電話だったのだろう。

この一本の電話で細かった糸がロープになった。

第2話 さきとまき、そしてうじきさん

彼女達は同じ高校の1年生。

クラブに所属していない僕の唯一の後輩の知り合い。


友達の高校生バンド「コルセア」のライブや、
その当時人気のあった”うじきつよし”率いる子供バンドの
コンサートでよく顔合わせてたのがきっかけで話すようになった。


コルセアは子供バンドのコピーバンドで、

高校バンド合戦では、吉川こーじ率いるバンドとグランプリ争いするぐらい

うまいバンドだった。

さきとまきはコルセアのベース担当”東”にあこがれてたんだ。


子供バンドのコンサートがあるときは、必ずチケット取りのために

KAWAI楽器に徹夜で並び、演奏が始まると、

警備員を蹴散らして一番最前列で狂ったように騒いでる僕を

”うじきさん”と呼んでいた。


二人ともめちゃかわいかった。

一年の中でもかなり異色の二人で、目立っていた。

生徒からも先生からも。


家に帰ってどきどきしながら彼女達からの手紙を読んだ。


「短い付き合いだったけど、どうもありがとう。
共通1代頑張ってね。」

って簡単な内容だったけど、わざわざ用意してきてくれたことに対して

熱いものがこみ上げてきた。


最高だよお前達。

共通一次の次の字が間違ってたけど・・・


ちょっとは勉強しろよ。


その後少なくても5年は大切に机の中に仕舞ってあった。




あの手紙が僕の人生にここまで影響するとは


そのとき思っても見なかった。

第1話 卒業式の後で。

高校卒業式の日。

卒業式が終わって誰もいなくなった教室で
僕は誰かを待ってた。

仲のよかったあまりもてない友達と、
いつまでも今のままでいたいよな、
なんて他愛もない話をしながら。

誰かとは、誰でもなく、誰でもいい誰かである。

クラブに所属したり、下級生に人気があるやつは
花束をもらったり、全部ボタンのなくなった学生服を
誇らしげにしながら高校を卒業していった。

自分達にはまだオファーがない。

でも、もしかしたら自分達を誰かが探してるかもしれない。

集団のなかにいたら声も掛けにくいものだ。

で、こうして数名の輪の中に自分を置いて時間稼ぎをしてたんだ。

誰も来ない時間だけが過ぎていった。

時間がたつにつれ、誰かは具体的な誰かに絞られた。

来てくれるのはあいつらしかないな。

そう思ったとき、教室の外で聞きなれた声がした。


さきとまきだ。

さ「いた、いた。さがしたんよー」

「おー。なんや?」(おっ!待ってたよ。)

さ「これうじきさんに渡そうって思って」

「ん?」(花束や、ボタンの話じゃなくって?)

さ「うん、手紙。まきとうちで書いたんよ」

「お、おう。ありがとう」

さ/ま「じゃ、元気でね」 (お、おい、ちょっとまて。あれれ、いっちゃった)

まあ、いいか。

結局、誰も尋ねて来なかった友達に冷やかされながら
大事に胸ポケットにしまって帰った。


すごい満足感を胸に。

はじめに

かつて流川にスタンド「りぼん」というお店があった。

僕は、そのスタンドで、20代は過ごしたといっても


過言ではない。

「ただいま」


これが店に入るときの挨拶だった。