坂本龍馬

  • 生年月日:1836年1月3日
  • 死没:1867年12月10日 (31歳)

坂本龍馬は江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。土佐藩郷士の家に生まれ、脱藩したあとは志士として活動し、幼馴染みの岩崎弥太郎が土佐藩の使命により貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中を結成し坂本龍馬は運営を任せられ、その会計を担当したのが岩崎弥太郎で、後の三菱財閥創設者。そんな岩崎弥太郎の商売の脚がけとなっていた坂本龍馬の説得力ある話術が倒幕、明治維新に貢献した偉人として評価されている。


岩崎弥太郎


  • 生年月日:1835年1月9日
  • 死没:1885年2月7日 (50歳)
  • 岩崎 弥太郎は、日本の実業家。三菱財閥(現、三菱グループ)創業者で初代総帥。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。



坂本龍馬名言集


金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。



世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る。

 


人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。

 

 

丸くとも一かどあれや人心あまりまろきは ころびやすきぞ。

 


事は十中八九まで自らこれを行い残り一、二を他に譲りて功をなさむべし。

 


恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし。

 



時勢に応じて自分を変革しろ。

 



何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者。

 


 


偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。

 


俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。現実に合わぬことはやらぬ。

 


俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。

 


奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである。

 


男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである。

 


人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。

 


夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。

 


人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

 


わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

 



慎重もええが、思いきったところがなきゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。

 


人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。

 


おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ。

 


疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。

 


人間、好きな道によって世界を切り拓いていく。

 


世の既成概念を破るというのが、真の仕事である

 


時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ。

 


人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。

 


人間、不人気では何も出来ませんな。いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなる。

 


何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

 


事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

 


今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。

 


雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。

 


相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。



何事も前進だけが成功とは限らぬ。引き際誤るな。引いたら改めて異なる方向から前進せよ。