
この、冬から春へと季節が移り変わる頃だ
なぜだかこの時期心穏やかでない自分がいることに気付いたのはここ数年のことだ
不安というか
落ち着かないというか
まあそんな感じだ
風が強い日が続いて
ついには季節を逆行させるかのような冷たい風が一瞬吹き込むと
次の刹那、激しい雷鳴がとどろき
この所在なさげな不安な気持ちにその春雷の一撃がとどめとなり
気付けばもう一瞬にして春の中にいるのだ
桜が開いたとか開かないだとか
霞んだ空にツバメの姿を探したりとか
もうそんな候なのだ

それでもそんな陽気にちょっと浮かれながら山へ行ってみると
寒冷渦を伴った低気圧が降らせた名残り雪がまだ解けきらずに残っていて驚く
山間のワインディングに淀む空気はまだかじかむ冷たさで
ああ、まだ冬がここにいたんだ、と
少しほっとしてしまう自分がやはりいて自然と笑みがこぼれた
そんなにも春の訪れがこわいのか
いや、春がこわい訳ではもちろんない
春が来るとすべての事が一目散に動き出すことがこわいのだと思う
最初ゆっくりとしたその流れは微塵の戸惑いも見せず
次第にしっかりとそして強く、確実に大きくなり
過去などまるで無かったものとしながら未来へと突き進んでいくのだ
それは
老いたわが身が近い将来この流れに一人取り残される予感
そしてその予感はすでに確信へとなりつつある

当たり前のことだが生まれた時は自分がいちばん歳が下だからか
その後の人生においても自分より下(の世代)にはあまり目がいかず
自然に上(の世代)を見て生きていくもののように感じる
けれど歳を取ったせいなのだが
近頃はそんな「上」が希薄になってきて
頭上を見上げればなんだか虚しく空が広がるばかりに見える
身内や近親者だけでなく
テレビの中だけの「知人」も次々と訃報が届き
それを現実として突きつけられると
いい歳をして何とも心許ない不安な気持ちに呑まれるのだ
もちろん同世代も頼もしい存在なのだが
そろそろ同世代も怪しいようだ
ここ数年、小学校の同級生を毎朝のように見かけていたが
何時か声をかけようと思いながら何年も経ってしまい
そういえばアイツ近頃見かけなくなったが…
と考えていた矢先
近所のやはり同級生に何となく話を向けてみたら
死んだ、というのだ
なんでも悪い病気にかかったがすでに手遅れで
それでも体が動くうちは、と仕事に出ていたらしい
自転車で帰宅途中意識を失って倒れそのまま帰らぬ人になった
背が低くて無口
運動も苦手で成績もそこそこ
そんな少しも目立たない男だった
すでに身内は弟だけなのだという
声をかけなかったことを悔やんだが
もうどうしようもない
ただ彼のことをたまに思い出すことが
せめてもの弔いなのだと自分には云い聞かせてもなんだか虚しさは残る
周囲がだんだん寂しくなる

ボクは父を6歳の時に亡くした
そして苦労して育ててくれた母は35歳の時亡くした
2歳で父を亡くし30歳で母を亡くした妹こそ不憫だったが
ボク自身、両親がこの世からいなくなったことの現実にその時は愕然とした
ボクがここにいることの証がもうこの世界にはないのだと
何を大げさなと思うだろう
でもいまでもこの所在なさげな不安は常に付きまとっているように感じる
思い返せば生きるとは不安なことばかりだ
もちろんそれ以前に人生には取り組まなければならないことが多くあり
実際はその不安と向き合うことはまずない
まずないのかもしれないがずっと自分の中の何処かにはいるのだ
そんな悩ましさにいつも手を差し伸べてくれたのは間違いなく上(の世代)の人たちだった
両親や先生
学校や職場の先輩や上司
テレビや雑誌などメディアで先人たちの言葉に触れたり
時には厳しく叱責されたりしながら支えられてきたのだ
いつもいるはずの母の姿を見失った幼子のような顔をして
いい歳をしたおっさんは握った拳に薄っすら汗をかいている

ひとりで行く宛てもなくオートバイを走らせ
心に感じた場所で止まってその景色を眺めることが好きだ
大抵は名もない入江だったり
なんてこともない川のほとりだったり
ぺんぺん草が乾いた風に揺れる原っぱだったり
ゆるい風が吹いて
遠くでカラスが鳴いている
太陽は真上から燦燦と光を降りそそぐ
ボクは座り込んでただゆっくりと呼吸をし
ぼんやりと周囲を眺める
そんな時だ
ボクの中の忘れていた不安はゆっくりと景色の中に溶けだして行き
いつしかこの傲慢な自分と云う存在が木っ端微塵に砕け飛ぶのだ
そして感じる
この世界と
否、時間も含めたこの宇宙と同化するのを…
だからとどの詰まり
いつかこの時間の流れに取り残されようとも
なんの不安もないということなのだ
そんなことに不安な気持ちになるくらいなら
今日何をしようか考える方が絶対に良い
もう会えなくなってしまった人たちだって
間違いなくこの胸の中にいる

今朝ゴミ出しに出たら
黄砂に霞んだ空をツバメが横切ったよ
遠くの畑では雲雀たちのさえずりが幾重にも重なって響いていた
来週には桜も満開になるだろう
ことしもまた春がきた
