ヒトと他の生き物の大きな違いのひとつに「意識」がある
言葉を持って以後、頭に浮かぶ想念はほとんど言語で認識される
それが実に厄介で
言葉を選ぶことが先んじて、なんだか自分の思いと気持ちがかけ離れていくのを感じる
見たり聞いたりして得られる感覚を
いちいち言語化してしまっていることに気付くとイライラする
リラックスできないし何かに囚われているようでうんざりしてくる

特に疲れていると自分の意識でありながら
もういい加減にほっといてくれ、と思うことすらある
何か不安や心配事がある時など最悪だ
同じ言葉が頭の中をグルグルグルグル堂々巡りするばかりで
地の底に吸い込まれるような気分になる
「心配事の92%は実際には起こらない」
かのナイチンゲールの言葉だ
でも、すでに「8%は起こるんだな」と思っているあなた!
ボクと同類だよ!
人間はくだらないこと考える天才だ

大学で知覚心理学を専攻していたんだけど
その時、座禅する僧侶の意識の研究を手伝ったことがある
ふつう、ひとは眼を閉じると脳波が変化する
良く知られているのはアルファー波だ
けれど修業を積んだ僧侶は座禅時に半眼でもアルファー波が測定されるのだ
つまり眼から刺激を受けているにアタマ空っぽになってるってことだと思った
アタマ空っぽって、言葉が浮かばないってことだったんだな
でも実はこれ相当難しい
たった1分もできない
眼を開いたまま寝てるってことだからね
でもね、何も頭に浮かばない方法を見つけた
まず文字を見ない
空とか、雲とか、森とか……
とにかく漠然としたものだけを見る

川のせせらぎとか、波の音とか
耳からも漠然とした刺激を入れる

これでほぼ間違いなく、ぼーっとできるはず
いや、無理か
感覚器を起こしたまま寝るのは修業がいるな
