彼岸を過ぎて、今年の秋も本格化し

山の緑は日々その勢いを無くして、

山里には今年も木犀の香りが充満し始めた。

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いつもの木陰でオートバイを停めて休んでいると

次から次へと枯葉が舞い落ちてくる。

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おい、フレディ

今年も日陰をありがとう。

ボクたちは、どこから来て、どこへ行くのか。

それはこの「葉っぱ」が教えてくれる。

ボクたちは、一瞬、何かの役目で形を与えられ、

そして、それが終われば、また形を無くす。

ずーっと、そこにいて、これからもずっとここにいるのだ。

いのちの過程を、旅になぞらえたりするけど、

旅と同じで、それはひとときの淡い喜びにすぎない。

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            〇

最近ちょっと気になることがある。

譲ってもないのに、黄線で無理やり追い越して

前に割り込むなり左手を挙げてるやつがいる。

「失礼」とでも云いたいのか。

ホントに失礼だ。

流れに乗って走ってる先行車を黄線で追い越すのはワイルドな行為だ。

ワイルドならワイルドらしく非礼で行けや。

本来左手を挙げてサインを出すのは

「譲ってくれてありがとう」の場合だけだ。

先に10台以上連なっている車列を抜かして行くなら行けばいい。

ただしそれは無法者のすることで爽やかさんのすることじゃあない。

エチケットを気にするなら、そんなケースで追い越しをかけるなよ。

喧嘩を売る行為に等しいことをわかっているなら買うけどね。

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(焼け色つけてるなんて、わかってるね!この缶のデザイナー)

          〇

気持ちのいい秋の日に、気持ちよく走っていると

なんだか馬鹿らしくなってくる。

この意味のない行為がボクにもたらすものが

如何ほどのものであるのか。

考えれば考えるほど馬鹿らしくて馬鹿らしくて

とても贅沢で、無駄で、そして、とてつもなく愛しいのだ。

ヒトがその歴史の中で、ガソリンエンジンの2輪車に乗っていたのは

おそらくごく短い一瞬の出来事になっていくのだろう。

こうしてその愛おしさを綴ることの意味も、実はほとんど意味のない事だ。

けれど、意味のない事は不必要だとは云えない。

それはボクらの命が無意味なのと同じことだからだ。

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