昨日は来年2019年のイグの日、

1/9にConnect to EXIST†TRACEのファイナルを発表しました。

去年マンスリーワンマンを行ってきた会場で、

今年の1/9もここからリスタートしたから、

まる1年後のこの日、またここでみんなともう一度、

「1年後ここで必ず会おう」って

約束できることを嬉しく思います。



コアなみんなには是非観て感じてもらいたい1/19の前哨戦なライブになるので、

一緒に濃厚な時間を楽しもうね。

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そんな来年に向け毎日想いを綴っていくブログシリーズ、

「Connect to my EXIST†TRACE」

今日は私たちexist†traceが色々な角度から歌い、

考え、これからも向き合っていきたい、「死」について。

それに初めて触れた時のことを。






私が死というものに初めてリアルに触れたのは、

たしか小学3年生だったかな。

数年入院していた父方の祖父が亡くなった時。

私の祖父像はお見舞いに行った時の記憶がほとんどで、

厳格で、口数は少ないけれど優しい一面もある、

そんなイメージだった。



その日私は母方の祖母と家にいて、祖母が電話で何やら話した後、私にそっと言った。

「おじいちゃん、おめめを閉じちゃったんだって。」

一瞬頭の中でぐるりと考えたあと、

おじいちゃん死んじゃったんだ、って理解した。

そして祖母が台所へ戻った後、じんわりと悲しみがやってきた。



祖父と沢山話したことがあるわけでもない、

祖父のことを色々知っているわけでもない、

でも私にとって大切な人の中の一人が永遠に失われた、

その意味が理解しきれないのにとても重たく感じられた。



そしてそれから、「死」に恐怖するようになった。

最初は「お母さんが死んじゃったらどうしよう」

って子供らしい恐怖から、

「私が死んだらどうなるんだろう」に。

胸が焼けるほどの恐怖と、叫びだしたくなる衝動。

でもどうにもならなくて、他の何かで気を紛らわせるしかない。

とにかく考えないように考えないようにして生きたかった。

色々な考え方を持てる今も、やっぱりそれは気分の良いものではないんだよね。






誰にとっても死は遠い存在じゃなく、

当たり前に大切な人たちが順に旅立っていくし、

道端で、家で、職場で、

どんな場所もそこが最期の場所になり得る。

でも私たちの脳は、恐怖や悲しみを和らげようと頑張ってしまうみたいで、

隣にいる死をすぐに忘れてしまう。

そこに向き合いたい。抉ってでもちゃんと見つめたい。

死に向かって生きるんじゃなく、今を大切にするために。



まだまだ向き合いきれていないし、

わかったと思っていたことも、あっという間にわからなくなったりするけれど、

今の自分の答え、は常に、持ちながら生きたいと思う。

残り2カ月で一度、今の答えにたどり着きたい。