
いうちは、できるだけ大きな夢を描いたほうがいいですね。
「いつか海外に家を持ちたい」とか「自分の店を開きたい」とか
「世界一周してみたい」とか。
そんな、今の自分から考えると笑ってしまうくらいの夢がいいと思います。
大事なのは、それが実現可能かどうかではないのです。
私たちは普段、目の前のことに追われていますよね。
今日の仕事、明日の予定、支払い、家の用事、人間関係⋯。
でも、現実だけを見ていると、「今の生活をどうやって維持し続けるか」という発想になりやすい。
そこで一度、お金がないとか、時間がないという「できない理由」は、横に置いておきます。
そして、思いついた夢を紙に書いてみる。
まんきんたんは、プロレスが好きだったので、「プロレスラー」になるのが中学生の頃の夢でした。
だから、まず高校に行ったらレスリング部に入ろうと思っていた。
今考えると、このときからすでに夢につながる小さな行動を始めていたんですね。
すると不思議なことに、昨日まで何とも思わなかった情報が目に入ってきます。
「こんな方法があるんだ」
「これなら自分にもできるかもしれない」
そうやって、夢がただの空想ではなく、日々の選択に影響を与え始めるんだ。
結局、当時高校にレスリング部はなかったし、身長制限で難しそうだったので、愛読していた「ゴング」というプロレス雑誌の記者になろうと方向転換することになった。
記者になれば仕事で大好きなプロレスが見れるという安直な理由で。
すると、記者になるためにはどうしたらいいかを考えるようになるよね。
大学でも勉強はしなかったけど、とりあえず経済学部に入って、同時に「日本エディタースクール」というところを通信教育で1年間学び卒業。
諸事情で就職は地元になって、大手印刷会社に入り身につけた編集能力が認められ、企画室に配属されてさまざまな小冊子の編集経験を経て、その時期に開設したFM愛媛の雑誌を創刊させてもらうことができたんだ。
それからもプロレス雑誌の夢が諦めきれず、3年で独立して紆余曲折しながら自分の雑誌を創刊し、その男性向け娯楽雑誌の中にプロレスや総合格闘技「PRIDE」の記事を実現させることができた。
この時代にちょっとした黒歴史があるんだけど、悪いことはひとつもしていないことを明言して省略。興味のある方は直接お話します。
雑誌の売れ行きは良くて、最終的には西日本で実数75,000部も発行することができ広告利益も月1千万円を超えました。「PRIDE」を取材しに行ったとき、当時は発行部数35,000部ぐらいの時だったので、さいたまスーパーアリーナの満員の35,000人の観客を目の当たりにして、こんなにも大勢の人に支えられているんだと身震いしたのが忘れられません。当時は営業部の粘り強い力で難攻不落の「ローソン」でも販売してくれてましたからね。まんきんたんひとりの力では到底実現できませんでした。関係してくださったすべての方に感謝しています。
話は戻るけど、結局、夢を持つことで、今日という一日が少しずつ変化していったことが言いたかったのです。
それだけでも十分な意味があります。
年齢を重ねると、「今さら夢なんて」と思うこともあります。
でも、夢に年齢制限はありません。
むしろ、これからの人生をどう過ごしたいかを考えるために、高齢になってからこそ大切なのことなのかもしれません。
一時は夢を実現することができ、それを思わぬ形で失って、失望し、落胆を繰り返して現在に至りました。
しかし、そんなまんきんたんを、いつの時だって信じて支えてくれる人もいます。そんな人がいる限り。
脳出血の後遺症を抱えてますが、これからも今の自分では少し届かないくらいの夢を一つ描いて、これまでとは違う明日が始まることを期待したいと思っています。