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ごきげんよう、萬勤誕です!

 

場所がはっきりしたので、山越の「矢取神社」にリベンジで行ってきました。爆笑

 

 

「石鎚神社」へ登る、下は草ぼうぼうの道、眼の前の木から伸びたクモの巣だらけの枝をかき分けながら。

 

ふと道端を見ると、こんなところにトイレが!ガーン

 

 

いろんな意味で怖くて入れません。滝汗滝汗滝汗

 

 

「石鎚神社」に着きました。この奥に「矢取神社」はあるはずです。ほっこり

 

 

こっちかなぁ? たぶん↑この柱に「この先、矢取り神社」との案内が掛かっていたのでしょう。

 

 

…と勝手に的はずれな解釈をしてしまい、歩みを進めると、この先厳しい山道が。滝汗

 

落ち葉が積もっていて登りにくく、何度か滑り落ちながらも向こうに見えてきた小屋を目指します。

 

 

額から滝のように汗が流れ落ち、眼鏡の視界を塞ぎます。ゲッソリ

 

 

「いやこれは無理だ。諦めよう…」ぐすん

 

しかし、今日諦めたら、もう二度と来ないかもしれないぞ、と自分に発破をかけながら、しばらく頑張りましたが、泣く泣く引き返す決断をしました。ショボーン

 

 

石鎚神社の天狗さん。

 

 

今回も「矢取神社」に行けませんでしたと報告して下山しようとすると。

 

 

おや? 石鎚神社の手前に横の方に行く道があるではないですか!

 

 

こちらも草ぼうぼうですが、もしかしたら行きやすいルートがあるかもしれない。

 

…と思って上った先に、やったー、ありましたビックリマーク爆笑

 

 

「矢取神社(やとりじんじゃ)」。

 

 

神社のいわれは源為朝(みなもとのためとも)がこの地で弓術の奥義を悟った時、五十猛命(いそたけるのみこと)を祀って「矢取宮」と称したとのことです。

 

源為朝(みなもとのためとも)は源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる平安時代末期の武将だそうです。

 

この辺りで暮らしていたような逸話は聞いたことがありませんが、身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、剛弓の使い手だったため、その評判や噂が九州の地からここらにまで広まっていたのでしょう。

 

 

山の神様である石鎚神社と並んで、樹木の神である五十猛命(いそたけるのみこと)が、ここ山越の山里を守ってくださっていたのですね。

 

 

見てください。バイクのシートにかけた汗びっしょりになった雨合羽です。

 

今日は初めから藪の中を歩く覚悟で来たので、かっぱを着てトレッキングポールでクモの巣を振り落としながら山道を歩いたのでした。もう疲れたよ…パトラッシュ。あせるあせるあせる

 

 

さて、前回の神社巡りでもうひとつ辿り着けなかった場所。

 

『熊野神社』、ありましたビックリマーク

 

 

前回は「久枝公民館 東長戸1丁目分館」の周辺を探していたのですが、目印にすべきは「久枝公民館 東長戸分館」でした。

 

こんな紛らわしい名前つけるなよ!と、まだ人のせいにしています。ショック

 

 

あの「熊野三山」由来の神社でしょうか。主祭神がたくさんおられます!

 

境内には遊具が設けられていてのどかな雰囲気を醸し出してますね。

 

 

入口付近にはコンクリート壁に五色の小石を並べた「よしあしは、人にまかせむ我真心神に通じて人に幸あれ」という碑が建ってました。

 

はっきり言ってガイド版がないと、子どもの作品かと思われたり、何より全く読めないと思います。ぼけー

 

 

さて、気分が良かったのでここからも神社巡りを続けました。

 

このつづきは、また明日。

 

 

良い休日を過ごされましたか?

 

それでは来週も楽しくがんばりましょう!

 

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