ごきげんよう、まんきんたんです。
ここは道後の「稲荷神社」です。![]()
坊っちゃん列車と一緒に写真が撮れる、道後温泉駅のすぐ横という恵まれた立地条件ながら、いつも人影がなく、ひっそりと佇んでいる淋しい雰囲気の神社です。![]()

江戸時代に松山のお殿様に仕えていた村上喜助という人が、京都の「伏見稲荷神社」より受けた御神像を、実家である佐方の庄(北条カントリークラブ近辺)にお祀りしたことが由緒です。
喜助が亡くなった後、遺族が社殿を営みましたが、後年になって弁天町(千舟町あたり)に移され、明治13年に花園町に御神像を移し神社を創祀。
その後も、榎町(日銀松山支店あたり)→道後公園内→道後今市→道後湯之町(現在地)と場所を転々とした記録が残っています。
今から114年前の、明治42年にここに落ち着きましたが、この間すでに御神像は消失したのでしょうね。
どんな“いわく”があるのか知りませんが、波動が感じられず、訪れる人も少ないので、5年ほど前に御社殿を新しく建て替えたものの、既に寂れてしまった印象が拭えません。![]()

実はまんきんたん、昔は「稲荷神社」というと狐がご祭神なんだと信じてました。![]()
あくまでも狐は神様のお使いであるということを知ったのは、大人になってからだったのです。
それまでは、狐や貍を祀ってあるほこらは、どちらかというと低級霊が集まってしまう場所だと思っていたんですね。
当時、友達と遊んだ「狐狗狸(こっくり)さん」の影響だと思うのですが。![]()
![]()

そのイメージが変わったのが、ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」を見てからです。
四国にはタヌキを祀った祠が多く、そのいわれを調べるうちにお稲荷さんのこともやっと理解できるようになりました。![]()
![]()
稲荷神社のご祭神は「宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)」。
「うか」や「うけ」には、「穀物・食物」という意味があります。
食物を司る、保食神(うけもちのかみ)、豊受比売神(とようけびひめのかみ)などの神様の名前にはやはり、「うけ」という言葉がついています。
八百万の神の中でも、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)は代表的な食物神。
全国の稲荷神社で祀られ、八幡神に次ぐ人気の神様とも言っても過言ではありません。
それだけに、「どこにでもある稲荷神社」のイメージが強く、ありがたみを感じられないのかもしれませんね。
だったら、長い石段を上ってでも、国の重要文化財「伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)」に行こう!となるのは当然かも。![]()
呼び方を「道後開運稲荷」とか「道後伏見稲荷」と変えてイメチェンを図ろうとする試みは見られますが、もっとちゃんと神社の見どころを教えたほうがいいんじゃないかな。![]()
では、実際に案内してみましょう。
まず、稲荷神社といえばたいてい狛犬ではなく狐が鎮座されていますよね。
境内にたくさんの狐がいるお社もあります。
ただし、神様のお使いは野生の狐ではなく、全身が白い(透明な)霊獣だから実際は目には見えないとされています。
それぞれの狐さん、よく見ると何かをくわえています。
たいていそれは「玉」か「鍵」か「巻物」か「稲穂」です。
ただし、中には何もくわえていない狐さんもいます。
そのほうがレアでラッキーかもしれません![]()
![]()
「稲穂」をくわえている場合は、五穀豊穣のご利益を示しています。
「鍵」は諸説ありますが、稲荷大神の宝蔵を開く秘鍵(ひけん)の象徴などと言われています。
「玉」は稲荷大神が秘める御神徳(霊徳)の象徴。
道後稲荷神社の狐がくわえている「玉」は、道後温泉のシンボルである「湯玉」の形になっています![]()
スライム?
台座にもしっかり「湯玉」が描かれてますよ。![]()
「巻物」は知識・知恵の象徴と言われています。
お腹が空いている人だったら、これが「巻物」ではなく「ごぼう天」に見えるかもしれませんね。![]()
それでは、今日も良い一日を。









