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ごきげんよう、まんきんたんです。

 

松山未踏の町シリーズ、今回は水口町です。

 

松山から今治へ向かう山道の途中、日浦小学校の手前にある町です。

 

 

国道317号線、水口町の案内標識があります。

 

 

ここは車でも左折したことはないですね。まさに未踏の地。爆笑

 

 

清流が流れています。

 

 

このあたりは自然のホタルが見られるところです。

 

 

ホタルの餌になる巻貝「カワニナ」が飼育されていました。

 

 

こういう方の努力でホタルの乱舞が見られるのですね。感謝!

 

 

道端には栗の木が。路面にはたくさんの栗のイガが落ちてました。

 

 

神社を見つけました。ほっこり 重松神社

 

 

重松太郎、定松次郎という地元出身の兄弟を祀った神社とのことです。

 

 

人物神には「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の戦国三英傑もいます。

 

重松兄弟はどんな偉人だったのでしょう?

 

 

こちらの狛犬夫婦には子どもがいますね。ほっこり

 

 

基本、向かって右側が口を開けた阿形(あぎょう)の狛犬、左が口を閉じた吽形(うんぎょう)の狛犬。

 

子どものいる狛犬は、たいてい吽形(うんぎょう)の狛犬があやしています。

 

 

なので、吽形(うんぎょう)の狛犬はメスではないかという説があります。

 

今みたいに「ジェンダー平等」など、ややこしい西洋思想が持ち込まれる前の話ですからね。ショック

 

 

寺社建築も狛犬も職人の遊びゴコロが多分に見られます。

 

狛犬の持つ玉(まり)には「家運隆盛」、子どもには「子孫繁栄」の意味が込められていると聞いたことがあります。

 

 

ね、あなたラブラブ

 

 

あせる せやな。

 

 

本殿にはみっつの神額が掲げてあります。

 

 

「重松神社」の「重松太郎」「定松次郎」兄弟は、今から約650年前の南北朝時代のこの辺りの豪族の子。

 

姓が違うのは、定松は養子に入ったためです。

 

 

足利勢に敗れた新田氏ら南朝方の武将を、出羽の国(山形・秋田)よりこの地に迎え、連れ帰ったといわれています。

 

 

古そうな「絵馬額」がありますね。

 

 

明治36年(1903)、119年前の絵馬が新しく見えます。

 

 

もはや絵が消えかかっている絵馬も。えー?

 

 

わぉ!! びっくり天井にスズメバチの巣がありました。

 

 

境内にある石垣を突き破る御神木。

 

 

水口町の「重松神社」は、山あいの自然と共に、いにしえの伝説が今も生きる、古き良き日本の神社でした。

 

 

石段をてくてく降りていると、「日浦ホタルふれあい広場」がありました。

 

 

花が枯れかけたひまわり畑の前に「花は咲く」看板。

 

見方によってはちょっとホラーな手形を使った絵がアバンギャルドです。ウインク

 

 

 

 

 

 

そうか、もう秋ですものね。ほっこり

 

 

田んぼと畑とホタルの町、松山市水口町でした。

 

今日も明るく、陽気な1日にしましょう!