ごきげんよう! まんきんたんです。
昨日は書いてる途中でやめちゃって失礼しました。
『60歳すぎたらやめて幸せになれる100のこと』
に書かれている100のことについて考えてみようと思う。
1.まずは冠婚葬祭から失礼する
疎遠になっている親戚や友人、顔見知り程度の知人の冠婚葬祭は、そのことを最初に聞いた時の気持ちを優先しよう、という提案だ。
これって当たり前だと思うんだけど、義理で嫌々参加する人もいるということなんだろうね。
まままんきんたんも若い頃は、友人からの結婚式の招待状が次々届いた時期もあって、そんなに稼いでいた時じゃなかったから、ご祝儀を用意するのが大変だなと思ったこともあったけど、特に嫌だなーと思ったことはないし、断ったこともない。
スピーチを頼まれることも多くて、その原稿をまとめるのも楽しかったしね。
数年前、年頃の女の子に、大学時代の県外の友人から結婚式の招待状が届いてどうしようかと思っていると相談されたことがあったんだ。
その子も結婚前だったから、「自分の結婚式に招待するつもりなら出るべきだね」とアドバイスしたことがある。
結局、参加したわけだけど、ザンネンながらその子は未だ独身。
損得で判断させてしまったことをちょっと後悔している。
おわびの意味でも、まんきんたんに招待状が届いたら喜んで参加させていただこうと思っているのだが…。
さすがに50過ぎてから結婚式に呼ばれたことは2回しかないけど、葬儀はこれからどんどん増えていくんだろうなと思っている。
ただここ数年、コロナで葬式をあげることまで自粛するようになっちゃって、この先、葬式自体がどうなっていくのかわからないよね。
最後の別れのセレモニーを潰してしまうというのはどうかなーと思うけどね。
気持ちを切り替えるためにも必要な儀式だと思うんだ。
仕事絡みの葬式なんかだと、義理で参加しなくちゃいけないこともあるけど、そんな場合、断るという選択肢ってほとんどないと思うし、心の中で故人を偲ぶなんてことで理解してもらえるものではないと思うので、やっぱりお世話になった人の冠婚葬祭は、進んで参加したほうがいいと思うんだよね。
ただ、自分の葬式に関しては、身内で済ませたのでいいよと思ってしまう。
お墓も仏壇も様変わりしたように、葬式も遠隔で、香典も投げ銭スタイルでなんてことになるのかもしれない。
さみしいけどね。そんな形だけのものになったらそれこそなくしたほうがいいかもしれないね。
次回は「この年まで続いた腐れ縁を断ち切る」。
平本蓮、負けちゃったね。
勝負事はこんなもんだ。
終わってみれば、そんなもんだとわかる。
では、また明日!