ごきげんよう! まんきんたんです。
この前の日曜日、道後の商店街をチンドン屋が練り歩いた。
イベントとして時々、チンドン屋を見ることがあると思うけど、50年ほど前までは松山市の商店街でも普通にチンドン屋が歩いていたんだ。
しかも、ストリップの道後ミュージックを宣伝するチンドン屋で、パーティーグッズの「ヒゲメガネ」をかけたおじさん一人がやっていた。
幼い頃は、何をしている人かよくわからなかったけど、イメージとしては楽しいおじさんだなーと思っていた。
太鼓を叩きながら、「パー、パー、パー、パーパラッパ♪」と賑やかに叫んでいるだけ。
子供心に、おもしろいおじさんがいるものだと思っていた。
おもしろいおじさんといえば、今から35年ほど前、イベントの仕事で「猿回し」の人と懇意になる機会もあった。
のちに「反省」のポーズで一躍人気者になった「次郎」とコンビを組んでいた「村﨑太郎」さんだった。
この人も伝統芸能としての猿回しをとても誇りに思っていて、年が近かったこともあって、いろんな興味深い話を聞かせてくれた。
確かその時の「次郎」は人気者になる前の初代の「次郎」だった。
村﨑さんの猿に対する愛情は強いものがあったが、裏に回ってのしつけ方は昭和時代の「スパルタ方式」だった。
それが虐待のように見えて、思わずもっとやさしくできないのかと尋ねたことがあるが、猿とは「侍従関係」を築かなければ、言うことを全く聞いてもらえないのだという。
まぁ、犬でも猫でもそういうところはあるので、理解はできた。
稽古をしている時にも噛みつかれることがあり、強く押さえつけて叱っていたが、今の時代なら写真週刊誌に「猿回し虐待」と騒ぎ立てられてもおかしくないような、表舞台とのギャップだった。
今ではイベントでもあまり「猿回し」を見ることもできなくなったが、テレビで村﨑太郎さんを見るたびに、あの日、熱く語っていた「猿回し」の話を思い出すのである。
人を楽しませるには、陰で想像もできないような努力をされているんだということを教えてくれた人であった。
さて、本日宅配便から荷物が届いたんだ。
開封してみると、『ヒコサンZ』だった。
水カビ病の治療薬。
遅いよ!今ごろ…。
でも、これがあっても助からなかったかもしれない。
何を恨んでも、後悔しても、死んだ事実は戻らないからなー。
常備薬として次に何かあった時にきっと役に立てよう。
じゃあ、またね。See you!