ごきげんよう! まんきんたんです。
今日は午後から、愛媛プロレスのスポンサーである㈱レグルスの矢野真弓さんにプロレスにご招待いただいている。
先月、コロナで10日間、入院した際に、毎日ネコやメダカのお世話をしてLINEで報告してくれた方だ。
その時、さんざんお世話になったにも関わらず、今回、プロレスにまでご招待いただけるなんて、もう足を向けて寝られない…。
まんきんたんが初めてプロレスを見に行ったのは、中学生の時だったと思う。
誰と見に行ったのかはっきりと覚えていないが、おそらくその後、共に始めた仕事がうまくいって、二人で全国の有名プロレス会場を制覇して回った友人だったはずだ。
総合格闘技イベント「PRIDE」などを、さいたまスーパーアリーナや東京ドームのリングサイト席で観戦したのは楽しい思い出として残っている。
お金もない中学生が、なぜ試合会場に入れたかというと、当時地元のプロレス会場は「愛媛県民館」という所だったんだよね。
今の県立美術館がある場所。そこに新日本プロレスがやって来るということで、アントニオ猪木見たさにとりあえず行ったんだと思う。
会場入りするほんの一瞬でもいいから、実物を見たい会いたいというエネルギーがあったんだよね。
それで愛媛県民館の周りをウロウロしたり、中の会場の様子を覗き込んだりしていたら、中にいる知らないおじさんがドアのカギを開けて「入れ入れ」と招き入れてくれたんだ。
その人は興行関係者だったのか、単なる観客だったのかはわからないけど、とにかくタダで会場に侵入したのが、生まれて初めて見たプロレスの興行だったわけ。
だけど、その時の感動が大きく人生を変えちゃうんだなー。
上のアジア・チャンピオン・シリーズのパンフレットは1977年、44年前のものだから、18歳くらいのもの。
この頃になるともうチケットもパンフレットも自分で購入していたからね。
長州力は吉田光男という名前で前座で出ていたし、タイガーマスクも佐山サトルの名前で出ていた。
木村健悟は地元新居浜出身だから、両親か親戚と思われる人が会場に応援に来ていたっけ。
それからプロレス・格闘技が趣味になって、どのくらいのお金をつぎ込んだのだろう。
将来はプロレス雑誌「ゴング」の記者になろうと、編集出版の仕事の勉強も始めたくらいだ。
結果的にはそれは実現しなかったけど、「興行」絡みのことを取材する仕事に就けたし、金も稼げた。
あの謎のおじさんがまんきんたんの進路を決めてくれたと思っているんだ。
振り返ってみても悪い人生じゃなかった。
今はYou Tubeなどで暴露してる人も多いから、ぼちぼちと興行界の裏話をしてもいい頃かなと思っている。
楽しみにしといて♪
それでは今日も良い一日を♪ またね、See you!