こんにちは、まんきんたんです。
きのうの日曜日は、前々から行ってみたかった愛媛県松山市北梅本町の「葉佐池古墳(はざいけこふん)」に行ってきました。
1,400年前のお葬式の様子がわかる全国でも珍しい古墳ということで、国の史跡(日本の重要な遺跡)にも指定されている貴重な古墳です。
↓まず、これは作り物なので驚かないでくださいね。
およそ1400年前に埋葬された古墳の中の様子をわかりやすく見てもらおうと、実際にここに残されていた人骨、木片、埋葬品などから、細部にわたってリアルに復元してくれたものなんですね。
こういうものを「気持ち悪い」とかいう偏見だけでスルーしてしまうと、自分にとって貴重な情報に一生たどりつくことができなかったり、わかったころには手遅れの可能性があります。
そういったお話をしますので、しばらくお付き合いください。
「葉佐池古墳(はざいけこふん)」は平成4年(1992年)、未盗掘のまま発見されました。
6世紀中ごろ(西暦600年ごろ)に最初に作られ、7世紀初頭にかけてこの一帯に住んでいた一族の、親族の遺体が埋葬されていたお墓で、人骨や木棺(もっかん)、ハマグリ、稲わらなどの副葬品が残りのよい状態で出土したのです。
(人骨やミイラは模型ですが、石室に積まれている石は1400年前のそのままのものです)
人骨1体にはハエのさなぎ殻が付着していて、そのハエの習性から被葬者が腐敗するまで、死後十数日間ほど明るい場所に安置されていたことが判明しました。
これは、日本書紀に記されている古代の葬送儀礼「殯(もがり)」が、実際に行われていたことを考古学的に証明する貴重な資料ということらしいです。
ひとつずつ生命しますね。
古代の人たちも「死」というものを受け容れられなくて、きっと「生き返るはず」「蘇るかもしれない」と、亡骸の前で共に食事をしたり踊ったりしていたのです。
遺体が腐敗・白骨化してようやく死者の最終的な「死」を確認し、埋葬していたんですね。
それが「殯(もがり)」という儀式。
今の「お通夜」に通じるものです。
現代の日本では、すぐに火葬されお墓に埋葬されることがほとんどですが、実は日本でもいまだに「殯(もがり)」が行われているところがあります。
それが「天皇家」なのです。
昭和天皇が崩御された1989年1月7日の翌日から、およそ50日間が「殯(もがり)」にあたり、連日24時間にわたる『殯宮祗候(ひんきゅうしこう)』というものが行われたそうです。
崩御から約2週間は吹上御所に、その後は宮殿の松の間に、昭和天皇のご遺体を納めた棺は安置されました。
吹上御所にお体があるうちは、皇族方と旧皇族も含めたご親族が24時間体制でおそばに控えられ、その後は、宮内庁職員や政治家、経済人などが10人ほどのグループになって宮殿松の間で昭和天皇を偲んだそうです。
こんな事実知ってました?
まんきんたんは、退位された明仁天皇が2016年の「お気持ち」表明で、このしきたりを問題提起していたことも今回初めて知ったので、あのビデオメッセージも改めて見直しましたよ。
確かにおっしゃってますね。
しかし、どれほどの人がそのことを深刻に受け止められたのでしょう。
でも、おかげで殯のしきたりは昭和天皇で最後になるそうです。
「葉佐池古墳」は土・日・祝日(年末年始を除く)のみ開館。
管理人の方が展示物やビデオで詳しくガイドしてくれます。
近くの方は無料なので見学に行くと良いですよ。
少しだけでも「古事記」の勉強をしておくと、さまざまなことが、より理解できるかもしれません。
または、中田敦彦のYouTube大学
【超大作】日本の神話「古事記」が面白い〜第1話〜日本の成り立ちを知っていますか?