こんにちは、まんきんたんです。
筋肉痛、だいぶんよくなりました。
それよりもショックだったのは
右腕が動かしにくくなっていたのが
単なる関節痛ではなくて
五十肩だったこと。
まぁ、仕方ないんですけどね
50なんですから。![]()
今日は「白秋忌」。
詩人・北原白秋の亡くなった日です。
ちょうど1ヵ月前の記事で
北原白秋の『紅い鳥小鳥』をピックアップしました。
今日は『真実一路の旅』という
詩を取り上げてみましょう。
真実、あきらめ、ただひとり
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。
二人で居たれど、まださびし、
一人になったらなおさびし、
真実、二人はやるせなし、
真実、一人は堪えがたし。
詩というものは読む人によって
それぞれの受け取り方があり、
ちょうど今の自分の心境・考えと
かぶったフレーズが強く心に響くものです。
何も感じないという人は
今は共感できる言葉がないということ。
それでは、この詩ができた背景を知ると
どうなるでしょぅ。
白秋は25歳の頃、隣人の新聞記者の妻と道ならぬ恋に落ち、
夫に姦通罪で訴えられ投獄されたにも係わらず、
激しい恋の末に結婚しました。
しかし、彼女の浪費癖やわがままぶりに、
結局は一年あまりの結婚生活を終えます。
この詩は、その離婚のドロドロ期に書かれたものなので、
それを知ってから改めて読み直すと
また違った解釈ができます。
真実の愛だと貫いた人を諦めて、我一人、
真実の愛を求めて生きていく。
真実の愛を求めて生きていこうと思った自分なのに、
事あるたび、真実の愛だと貫いたあの人を思い出す。
二人になれたけれど、まださびしい、
一人になったらなおさびしい、
真実、二人はやるせない、
真実、一人は堪えがたい。
人間、真実一路に生きるのは報われるためではなく、
人間としてそうすべきだからなのです。
ではもう一編、よく知られている『落葉松(からまつ)』。
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
(中略)
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
北原白秋も自然を愛した詩人でした。
世の中というものはしみじみと趣深いものだ。
永久不変ではないけれどうれしいものだ。
山や川には山や川の音があり、
からまつ林にはからまつ林の風が吹く。
ありのままに、自分らしく生きたいものです。
