こんにちは、押切もえです。
うそです、まんきんたんです。
青葉繁れるいい季節を迎えました。
先日、木々の緑をながめながら
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」とつぶやいたら、
同部署の二十代の若者はこの句を知りませんでした。
でもバカにはできませんね。
今から約300年前、江戸中期の作ですから…。
ということではなく、あなたもこの句に秘められた
高度な俳句のテクニックはご存知ないかもしれませんから。
俳句には季語がありますが、1句の中に季語を2つ以上
詠み込まないように教えられたことはありませんか。
しかし、この句はどうでしょう。
「青葉」「ほととぎす」「初鰹」と夏の季語が3つも入る
「季重なり」になっています。
それでもこの句が評価されているのは、
すべてが当時の人々から好まれて共感されるものばかりだったから。
そして、時代は変わってもその風情はひとつも変わっていないからです。
また、もともと「青葉」と「ほととぎす」は、組み合わせて詠まれる詠題として
古くから出されてきたものですが、
そこに奇抜な「初鰹」を加えたことにより、新奇性が認められたといえるでしょう。
さらにこの句は、鑑賞した人の脳内で5月の世界観がよみがえるよう、
五感と巧みに結びつけられています。
「青葉=視覚」「ほととぎす=聴覚」「初鰹=味覚」。
初めに“目には”を置くことによって、
自然と“耳には”“口には”という言葉が連想できるようにしてあります。
最近では「目に青葉」と詠まれることもありますが、
元の句は「目には青葉」で字余りになっています。
これが意図してしてたものと思われるのは、
ここでいったん間が空きますよね。
その間、青葉若葉が目に浮かびます。
そこからは字余りもなく一気に進むため、
ほととぎすがさえずる山が、そして美味しい初鰹の姿が
フラッシュバックされるよう、テンポよく畳みかける技法も盛り込まれています。
これらが「季重なり」を相殺している、ともいえるかもしれません。
ところで、ほととぎすはなんて鳴くかご存知ですか?
昔の人は「テッペンカケタカ」と聞きなしていたそうです。
この季節、そんなほととぎすの声が聞けるといいな。
※画像はお借りしました。
うそです、まんきんたんです。
青葉繁れるいい季節を迎えました。
先日、木々の緑をながめながら
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」とつぶやいたら、
同部署の二十代の若者はこの句を知りませんでした。
でもバカにはできませんね。
今から約300年前、江戸中期の作ですから…。
ということではなく、あなたもこの句に秘められた
高度な俳句のテクニックはご存知ないかもしれませんから。
俳句には季語がありますが、1句の中に季語を2つ以上
詠み込まないように教えられたことはありませんか。
しかし、この句はどうでしょう。
「青葉」「ほととぎす」「初鰹」と夏の季語が3つも入る
「季重なり」になっています。
それでもこの句が評価されているのは、
すべてが当時の人々から好まれて共感されるものばかりだったから。
そして、時代は変わってもその風情はひとつも変わっていないからです。
また、もともと「青葉」と「ほととぎす」は、組み合わせて詠まれる詠題として
古くから出されてきたものですが、
そこに奇抜な「初鰹」を加えたことにより、新奇性が認められたといえるでしょう。
さらにこの句は、鑑賞した人の脳内で5月の世界観がよみがえるよう、
五感と巧みに結びつけられています。
「青葉=視覚」「ほととぎす=聴覚」「初鰹=味覚」。
初めに“目には”を置くことによって、
自然と“耳には”“口には”という言葉が連想できるようにしてあります。
最近では「目に青葉」と詠まれることもありますが、
元の句は「目には青葉」で字余りになっています。
これが意図してしてたものと思われるのは、
ここでいったん間が空きますよね。
その間、青葉若葉が目に浮かびます。
そこからは字余りもなく一気に進むため、
ほととぎすがさえずる山が、そして美味しい初鰹の姿が
フラッシュバックされるよう、テンポよく畳みかける技法も盛り込まれています。
これらが「季重なり」を相殺している、ともいえるかもしれません。
ところで、ほととぎすはなんて鳴くかご存知ですか?
昔の人は「テッペンカケタカ」と聞きなしていたそうです。
この季節、そんなほととぎすの声が聞けるといいな。
※画像はお借りしました。
