にほんブログ村 オヤジ日記ブログ がんばるオヤジへ

 

こんにちは、まんきんたんです。


55番「南光坊(なんこうぼう)」から56番「泰山寺(たいさんじ)」へ。



53番「円明寺」と54番「延命寺」もややこしかったけど、52番「太山寺」とここ56番「泰山寺」もややこしやーですな。



泰山寺の駐車場に、この近くの温泉「清正の湯」が、お遍路さんを半額で接待してくれるという看板がありました。

かなり心が動いたけど、今日の予定はこの寺を含めてまだ4寺残っているので諦めました。

 



参道で何人ものお遍路さんとあいさつを交わします。


中には今治市内の札所をまんきんたんと同じペースで回っているバイクのカップルたちも一緒でした。
 


たいていの札所では山門→手水場→本堂→大師堂と廻り、そのあと寺の見どころをチェックするようにしています。
 


 

ここには「不忘の松」というのがあり、切り株に腰をかけると腰痛に良いというエピソードがありました。


腰かけてみようと思ったけど、たまたまか、このときはしっかりと柵に囲まれていたので座れず。
 


 

「地蔵車」は石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻(ろくどうりんね)の絆を断てるんだそうです。
 


 

「六道(ろくどう)」とは生前の行ないによって、死後に行き先が決まる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のこと。

「輪廻(りんね)」とは、車輪が回転するように、それを無限に繰り返すという考え方です。



悪いことをすると死んだら地獄へ堕ちるよというのがそれですが、元来 『仏教の教理』はそんなことを言っているわけではありません。

図で説明しましょう。
 

 

 


 

六道とは人々の心の階級のことです。教養の程度といっても良いでしょう。

仏教では、貧欲・瞋恚(しんに)・愚痴の心を三毒といい、それを迷いの代表的なものとしています。



瞋恚(しんに)とは怒りのこと。教養のない者は、逆境になるとすぐに不平不満を口にしてだれかれともなく怒り、順境だとすぐ調子に乗って欲深く(貧欲に)なる。


そして平凡な時は愚痴ばかり言って空しくその日を送っています。



このような程度の低い輩を『地獄』の衆生と呼びます。


だから死ななくても地獄の衆生は、そんじょそこらにウヨウヨしているわけです。



その三毒を一つ一つに分けると、貧欲を『餓鬼道』で代表し、愚痴は『畜生道』で、瞋恚(しんに)は『修羅道』で代表しています。

その上の階級が『人間界』で、ここでは食欲・色欲・睡眠欲の三大欲に、名声・利欲の二欲を加えた五欲の世界を代表させています。



さらに、もう一歩進んで、これも迷いの世界ではありますが六道の最高位に『天上界』があります。

ここには生々しい欲望はありませんが、天人に五衰の悲しみがあるなどといわれていて、まだ悟りの世界には達していません。


どんな心の階級、教養の程度かというと、眞・善・美を愛する人、つまり哲学や科学・倫理や道徳・美術や芸術に打ち込んでいる人をいいます。

といってもプロとか専門家とかいう意味ではありません。


真善美を愛するといえば、教養の高い方の側ではありますが、六道輪廻は免れず、いつ『地獄』に堕ちないとも限らないのです。



たとえば音楽会に行って良い気持ちで聴いているうちは『天上界』にいると言えますが、その同じ人が帰りにケンカをすれば、たちまち『修羅道』に堕ちてしまいます。

結局、人間は悟りを開いた上で、しっかり心の鍛錬をしない限りは、誰もがこの六道の中を行ったり来たりしていることがよくわかります。

 

この状態を仏教では『六道輪廻』と言うのですね。



話は戻って「地蔵車」ですが、これを回しただけで六道輪廻の絆を断てる!と喜んで回す人は、


もしかしたら「餓鬼道」にいる人なのかもしれません。



ごめんなさい、まんきんたんの個人的見解です。素直に信じて回す人はこの限りではないと思いますけどねー。

 

実はまんきんたんも回しました。



次は57番「栄福寺(えいふくじ)」です。