ペタしてね



こんにちは、まんきんたんです。

今日も無事1日の仕事が終わろうとしていたそのとき。


突然、電話がかかってきて夕食のお誘い。

朝から絶食していたこともありホイホイ誘いに乗りました。


で、行ったのがこのお店。\(゜□゜)/

ついにその日がやってきたか、という感じ。



まんきんたんな路上観察日記


写真にも見えている「松山伝統の味」

「幻のかめそば」とある通り


今から約20年ほど前まで

松山には「かめ」というお店がありました。


中華そば、やきそば、おでん(特にとうふ)

が名物でとても流行ってました。


当時夜中まで開いていた店がほとんどなかったため

飲みに行って締めは「かめ」というのがお決まりになっていたのです。


そのせいもあって「かめ」の名前は松山人なら

知らない人はいないほど知れ渡ることになりました。


…と、ここまでが「かめ」の説明で

ここからが本題。


実は今から約35~40年ほど前。

ぼくの亡母は「かめ」で働いていたのです。


そして、ぼくが中学生のころ「かめ」のおじちゃんや

おばちゃんにとてもかわいがってもらってました。


今でも営業している千舟町の「明星苑」でよく食べさせてもらったり

明屋(はるや)書店では行くたびに好きな本を買ってくれました。




母は深夜まで働いていて、いつも遅くまで起きているぼくに

「やきそば」を持って帰ってくれたものでした。


とても特長のあるやきそばで、今では「かめそば」

と呼ばれる伝説のやきそばになっています。


それが、これです。



まんきんたんな路上観察日記


当時、南海放送ラジオの「ワイヤング」という深夜放送を聞きながら

このやきそばを食べたのが思い出されます。



社会人になってから一度だけ「かめ」を訪ねたことがあります。

おばちゃんがぼくにビールをサービスしてくれたのを今思い出しました。


その時にたしかこれも食べました。おでんのとうふです。



まんきんたんな路上観察日記


数年前から「かめ」の味が復活したというニュースは耳にしていたけど

ぼくはあえて食べに行きませんでした。


母は亡くなる前まで家でも時々「かめそば」を作ってくれていたので

ぼくにとっては「かめそば」の味はおふくろの味でもあったのです。


そして、うちの息子にとっては「かめそば」は「かめ」のやきそばではなく

おばあちゃんの作るやきそばとして覚えていたと思います。


今夏の夜市でも至る所で「かめ風やきそば」を売っている屋台が出ていました。

が、一切ぼくは食べませんでした。


食べると思い出して悲しいから…といった感傷的な理由ではないと思います。

なぜか、食べる気にはならなかったのです。




それが、今日は誘われて「待ってました!」とばかりに食べに行きました。




大将と話をしているうちに何となくその理由がわかりました。

この店は「かめ」のおばちゃんが味を伝承した唯一の店。


おまけに大将はぼくの母親のことをかすかに覚えてくれてました。

いつも立っていたポジションまで。


うれしいこともわかりました。

「かめ」のおばちゃんは現在88歳。ご健在でした!


家も変わってないというので訪ねてみようと思います。

もう記憶から消えているかもしれませんが

お元気なうちに顔を見たい。



「じゅん」で「かめそば」を食べている間

「じゅん」の店内は「かめ」に変わっていました。


カウンターの向こうに母が。

そしてその奥におじちゃんの笑顔が見えました。




おいしかった。

ありがとう。





息子にもおばあちゃんの味を思い出させようと

おみやげに「かめそば」を買って帰りました。


さぞかし懐かしいだろうと思いきや


息子はきょとんとした顔で

「知らん、覚えてない」と言い放ちました。(^_^;)