全編では賤ケ岳七本槍の福島正則のゆかりの地を紹介しました。続きまして福島正則と同じように豊臣秀吉の家臣、蜂須賀正勝のゆかりの地へ行きました。
蜂須賀正勝、通称 蜂須賀小六。こちらの名前の方が有名かもしれませんね。
蜂須賀小六について超簡単に説明します。
愛知県あま市蜂須賀で生まれる。
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尾張(愛知県西部)を我が物にせんと企む織田信秀(織田信長の父)の圧力で美濃(岐阜県)の斎藤道三の傭兵となる。
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尾張の織田家同士の争いに巻き込まれいろんな大名を転々とし信長に従う。
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秀吉にも従うようになり墨俣城の築城などを行う。
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金ヶ崎の戦いや姉川の戦い(織田・徳川連合軍vs浅井・朝倉連合軍)の戦いでも活躍。
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賤ケ岳の戦い(羽柴秀吉vs柴田勝家)小牧長久手の戦い(羽柴秀吉vs徳川家康・織田信雄(信長の次男))でも活躍
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1586年 大阪で病死する。
っとまぁ羽柴秀吉に長く従い数多くの戦に出陣し生き延びた兵(ツワモノ)であります。
では前回紹介した村社神明社から西へ自転車でGO!!!!
見えてまいりました。蜂須賀グラウンド。
ちなみにこの地名も蜂須賀小六と同じ蜂須賀です。福島正則の名前が使われた正則村と違い今でも蜂須賀です!!
このグラウンドのすぐ近くに
菅安社という神社があります。
蜂須賀村由来記によると弘法大師が菅安の地で白山大権現に会ったことにより白山社を祀ったのが始まり。
昭和29年に現在地に遷り、菅安社と改名され今に至る。村社。と萱津神社のHPに紹介されています。
そしてそしてさらにすぐ近くに
蓮華寺が見えてまいりました。蜂須賀小六の菩提寺です。
そしてそして寺内にあるのが
蜂須賀小六の石碑と蜂須賀城址の石碑になります。昔はこんな所にもお城があったんですねー。