北炭真谷地炭鉱と言うところ | 今日もまっ晴れ!野生動物写真アルバム

今日もまっ晴れ!野生動物写真アルバム

流行りのSNSを頼りに珍鳥を追うのではなく、一人で探鳥を楽しみながら撮った野生動物写真アルバムです。情報など一切ありませんので御理解のうえ御覧戴ければ幸いです。

 

基本、懐古趣味なんです。

後ろばかり振り返って進歩のない私なんです(^^ゞ

 

 で、先にキャンピングカーの画像を探してる時に、17年ほど前の2005年に北炭真谷地炭鉱跡を訪れた時の画像が出てきました。(鉄道ブログのほうで一度とり上げた話題なんですけどもね)

 

 北炭真谷地炭鉱とは、北海道炭礦汽船が経営する炭鉱で、数多くあった夕張地区の炭鉱の中でも閉山したのは一番遅く1987年になってからとの事です。

 

 キャンピングカーが止まっている所は、下の写真で蒸気機関車が停車している後ろに写っている踏み切り付近です。 下の写真は私が高校生の頃の1974年12月に真谷地炭鉱を訪れた時に撮影したものです。 (以下、モノクロ写真は全て1974年12月撮影)

  上の蒸気機関車の背景に写っている建物は↓のベージュの建物です。蒸気機関車が居る頃は建物の屋上は雪が積もっていてフラットなのが判ります。下の2005年のカラー写真のものでは屋根や建具が増設されてはいますが、躯体は当時のままなのでキャンピングカーで再訪した時に、一目で直ぐにこの建物だと言うことが判りました。

 この炭鉱の事務所と思われる当建物は、私にとってとても思い出深い建物で、1974年当時、撮影を終えて帰りの国鉄沼ノ沢駅まで行くバスを停留所で待って居ると、この建物の中央にある玄関ドアが開いて、事務所の中から職員さんが私に大きな声で「バスまでに まだ時間があるし寒いから、この中で待ってたらいいよ」と優しい声を掛けて下さった50年ほど経った今でも忘れられない思い出の建築物だったのです。

 

事務所のドアを開けながら私に声を掛けて下さった玄関ドアが下のドアで

 2005年に訪れた時には多少崩れてはいるものの未だ木製の建具のままで、あの時(1974年)に「このドアを開けて声を掛けて下さったのか!」と思うと鳥肌が立つほど感動的で、しばらく此の場に立ち尽くしてしまいました。


 この事務所の建物の道を挟んだ向かい側には機関車を格納する2線の機関庫がありました。

1974年に訪れた時には元国鉄機の22号機が機関庫から顔を出していました。

 2005年に訪れた時には、この機関庫は現役の木炭加工場として当時のままの姿で使われていることに驚きました。

 排煙塔は下ろされてますが、棟の換気塔はブルーシートで覆われているものの当時のままのようです。

 

次に感銘を受けたのは石炭積み込み線の奥にあった建築物で

総合事務所と思われる建物の屋上に「我々の手で やまを守ろう」と言うスローガンを掲げてあった建物だけが2005年に訪れた時に残されていました。

上と下の写真を見比べると、右上側の窓に設けられてある薪ストーブの煙突と、建物2階天井部分の右壁から下向きに出ている配管は一緒のようです。窓や壁などの構造物は全く変わっていないようです。

「我々の手で やまを守ろう」と言うスローガンが掲げられてあった建物だけが、林に飲み込まれるようにポツンと立っていて印象的でした。

しかし、これら真谷地炭鉱の遺構も2007~2008年にかけて解体されてしまったようで、2005年に行っておいて良かったと本当に思います。

 

 1974年末に真谷地を訪れた時は、前述のように炭鉱までバスが通っていたのに、2005年当時には真谷地の中心部までしかバスは行っていないようでした。

そして現在では その路線バスの運行もなくなってしまいました。

 

本日も野生動物のことではありませんが

こんな50年ほど前の懐かしい思い出を綴ってみました。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。