2023年3月1日参議院予算委員会の丸川珠代委員の日本の創薬開発に関する国際レベルでの凋落があるとの質疑での指摘は、医療安全保障の脆弱性とも考えられる。わが国の自国開発のコロナ感染症ワクチンは遅い。
この意味でも、政府は科学技術全般に遅れはないか精査が望まれよう。わが国社会は成熟化しているのではないか。
その丸川珠代議員の質疑を視聴して後、私はデニス・ガボール(1971年ノーベル物理学賞)著林雄二郎訳「成熟社会ー新しい文明の選択ー」(講談社、1973年)の再読を始めた。この書物は、私と同じ慶應義塾大学法学部政治学科神谷不二研究会(国際政治)を卒業した建築家の宮原新君が東京藝術大学美術学部建築学科に転進した頃に贈ってくれたものだ。この書物に関しては今にいたるまで宮原君と私は議論を重ねている。
丸川珠代さんの委員会質疑の創薬の凋落とは性格は別として、安定した成熟社会において科学技術開発のスピードは少し変化してくるのではないかと考えるのである。
【ニフティ】
成熟社会(mature society)
◆総論
□「ガボール(Dennis Gabor)が同名の著作(1972)で提唱した概念で、経済規模の拡大を最優先するこれまでの社会と対比させて、持続的・安定的な経済成長と国民生活のバランスある質的向上を目指す社会として示された理想的社会像。背景には、先進国においては近代化・工業化がすでに十分に達成され、生活水準の基本的・物質的側面の改善なされた一方で、これらの変化にともなう資源の枯渇や環境問題の深刻化によって従来のような高成長は困難になったという認識がある。現代の日本に関しては、「高齢化」「少子化」など人口構成の変化への対応として、成熟社会の実現が求められることがある。この場合には経済的効率の観点のみにとらわれない社会福祉の充実が要請されることになる」(神山[1999:596])
□「産業化にともなう社会の発展が価値づけられる時代や段階において、社会の目標として経済成長や開発 development が目指される時期がある。しかし、成長や開発は持続的に続く常態的なものとはいえないのであり、社会においても成長が止まり、ある時期から成熟社会への変化を志向していかなければならない段階がやってくる。人類の歴史としてみると、欧米や日本といった先進国の多くが1950年代から70年代前半にかけて経済成長とそれにともなう「豊かな社会」を達成したのだが、まさにその時ローマクラブによって「成長の限界」が唱えられ、資源の有限性が問題提起されていった。
時をほぼ同じくして、ガボール、D. はこの考え方を社会観にまで展開し、「成熟社会」という視点を提起した。ガボールによれば、成熟社会は量的拡大のみを追求する経済成長が終息に向かうなか、精神的豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会とされる。高度経済成長によって達成された成長社会の限界がしめされ、成熟社会への転換が主張される。人間の身体と同じく、社会においても成長しつづける存在はありえず、ある時点から成熟社会への変化を志向していかなければならないとされる」(藤村[2012:755])
▼文献
●神山英紀、1999「成熟社会」庄司・木下・武川・藤村編[1999:596]
●藤村正之、2012「成熟」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:755]
■庄司洋子・木下康仁・武川正吾・藤村正之編、1999『福祉社会事典』弘文堂.
■大澤真幸・吉見俊哉・鷲田清一編集委員・見田宗介編集顧問、2012『現代社会学事典』弘文堂.
▼参考文献
■Gabor, Dennis. 1972. The Mature Society. Martin Secker & Warburg Ltd.=林雄二郎訳、1973『成熟社会――新しい文明の選択』講談社.
(ひらた こうじ)<了>