明けましておめでとうございます。 | ExcomAdvisorのブログ

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本稿は私・平田幸治の個人の意見・見解等を綴ったものです。

  お経のことをわが家の菩提寺である臨済宗東福寺派正満禅寺(岡山県総社市)の住職の蘆田貴道和尚の「正満寺寺報」(令和5年正月)巻頭文から少しく記したいと思う。

 

  私の母が健在のころ「(お盆の棚経に)貴道和尚は見えたか」と聞くと、母は「来られた。大変元気で大きな声でお経をあげてくださった」と、感慨深かそうに明るく答えた。その後の岡山市内の拙宅においても貴道和尚のお経の印象は母の言葉と同じだ。

 

  そのことを正月の「正満寺寺報」の貴道和尚の入門道場時代の回想を読んで、なるほど老師の教えであったのかとうなずくことになった。少し長くなるが、貴道和尚の回想を引用しておきたい。

 

 ・・私(貴道和尚)が入門した道場は西宮の海清寺というお寺でした。そこの指導者、老師と呼びますがこの老師が非常にお経に熱心な方でして普通、朝のお勤め(朝課)は何処の道場でも30分程度なのですが、ここ海清寺は昔から2時間行うのです。これは老師の方針でして今の修行僧は此処に居る事はせいぜい2年から3年である。自坊に帰ったら檀信徒皆さんがお前たちに何を頼むかそれはお経であろう。そういう時に人に感動を与えるようなお経をあげなさいという親心であります。しかし、毎日2時間のお経は仲々のものでした。当然、一ヶ月もすれば喉がやられて声は出なくなります。すると、老師は声を出すなとは決して言いませんでした。「出なくても出せ」と言うのです。そうやって半年も過ぎれば何とか声が出るようになりますが、老師はそこで「まだ出せ」と言うのです。今の状況に安心すると声が出なくなるのを知っているからです。そうやって私たち修行僧は今の状況に安心する事無くお経を唱え続けて行くのです。そうすると3年も経てば声は幾ら出しても枯れなくなります。・・

 

  (ひらた こうじ)<了>