若い人の叡知も知る。
「ボーナス出たの?」。橋本龍太郎・厚生大臣は、夜討ちの毎日新聞記者に訊ねた。記者の指が示した。毎日新聞は大変な時期を何回か経験した。橋本厚相は私に、「毎日は、俺の名前を最初に閣僚名簿にあげてくれた」。橋本さんには、結婚の署名人が産経新聞記者で、前政権で初入閣を逃した酒が産経新聞記者だと聴いた。それはいつもの六本木のマンションでダルマと柿のタネの談話だった。
橋本さんは、大小問わずメデアを大切にされた。少々厄介なミニコミには、金は出さないと決めていたが、話はじっと聴いて答えもした。「金はダメだ」。このことは、スタッフの秘書さんたちもしっかりしていた。橋本さんは当時の筆頭秘書さんに信頼を置いていた。この人は橋本さんのご尊父である龍伍・元厚相文相の一高・東大同期の元岡山大学教授(国際政治)の同大学の教え子だった。
橋本さんには、種々政治というものを教えていただいた。国会の委員会室や廊下にどこに何があるか知るように政治を知っておられた。私の造語だが、「経験年齢哲学」を持たれていた。新幹線で乗車するところは違うが、橋本さんは中国の古典をよく手にされていた。
橋本元総理は、中国に一定の敬意は持たれていたものと思う。
ANAの中国線の上海への一番機に郷里の岡山出身の岡崎嘉平太・元社長が搭乗されると聴くと、「・・それは、一番機で岡崎先生は北京でないといけない」と橋本元総理は言われたという。このことは、昨年亡くなった地元紙の元幹部記者から東京在勤中の逸話として聴いた。
確か、私は東京在勤のおり、橋本さんの機関紙『龍』6号に寄稿した。学生時代にTBS選挙本部で一緒に働いた今は亡き当時日本経済新聞官邸担当記者に取材して書いた。元記者のネタから「橋本さんは政治を知りすぎている」と。
繰り返すが、政治を長くやっている人物とは断言はしないが、「経験年齢哲学」があるのである。
注)岡崎嘉平太氏(1897-1989)、岡山県 現・加賀郡吉備中央町出身。元全日空社長。
戦後日中関係のいわば井戸を掘った人物である。日中覚書貿易事務所代表等に尽力し、周恩来・中国国務院総理との信頼関係が
あった。私事だが、岡崎氏に私の父は地元銀行でお仕えした。
(ひらた こうじ)<了>