ゲノム編集について(所感) 下 ―人間の安全保障— | ExcomAdvisorのブログ

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本稿は私・平田幸治の個人の意見・見解等を綴ったものです。

  安全保障は蓋然性の問題でもある。私は慶應義塾大学神谷不二研究会で国際政治・安全保障の勉強をしたが、それに先立ち学内の同様のサークル慶應国際政経研究会で勉強を始めていた。そこの討論で私は「安全保障は1㌫の可能性にも備えなければならない」と発言した。それを受けて池井優研究会(日本外交史)のK君は「君の言うとおりだ。安全保障とはそういう意味だ」と応じた。

 

  このテーマの「ゲノム編集について(所感)  下  ―人間の安全保障―」についても蓋然性のうえに述べることになる。あくまで考えることの例である。

 

  例えば、地球環境問題について、急激な気候変動が予測され気温変化の常態化等の変貌で人間が自然環境に適合が危うい時、ゲノム編集による人体の人為的適合を生存のために備えることを余儀なくされる場合もあろう。目的は人間の生存である。こういうことは現在において想像できることだと思う。また、人間の生命の連環と生存そして種の保存という本能に関することでもある。

 

 「安全保障」を備えなくばその種は滅亡をたどるやもしれない。それは、神の領域を超えるのではなくゲノム編集は神が人間に与えたもうた人間生存の手なのかもしれない。

 

  だが、ゲノム編集で大方を仕上げてしまってからでは遅い。拙稿「中」で引用したように、山中伸弥先生が述べている議論検討に加え、哲学や心理学等も動員した要は「情報総合学」というべきSFの時代が現実となることを解く学問体系で対応すべきだと私は思っている。仕事も紙に書くように理想的にはいかない。だから、情報総合学なのである。

 

  先に本ブログシリーズに掲載しリンクもしたが、「ゲノム編集(生殖細胞)研究に係るWHO専門家会議方針」によるところの規制とデータ登録管理等は、これも「人間の安全保障」というならそれも当為の原則であろう。ただ、WHOがルールを策定するまでに要する時間はゲノム編集研究進展の青野由利氏前掲書から推測すると若干スピードを高める必要性があると感じる。

 

  国際社会において「ゲノム編集」の存在が人間の文明に禍と大きな失望をもたらすと合意形成がなされれば、限定的な利用にとどめなければならないであろう。この世界は予想を超えたことが起こる。よい人ばかりではない。

 

  最後に私の個人的所感だが、私の恩師・石川忠雄先生(慶應義塾長)は過去を回想される対話で「・・楽観的に考えるようにしている。それがいいことであったように思う」と私の学生時代から後年にわたってよくそのフレーズを先生からお聴きした。それは多分あまり楽観的な考え方ができないでいる私へのメッセージでもあったような気がする。私には身近な偉大な恩師だった。私はそうした信頼する人があったから、こうして人間同胞の将来を考え記しているのだろう。

 

  この拙稿(上・中・下)をお読みいただいた読者には感謝を申し上げます。

  (ひらた こうじ)<下・了>

 

  《終わり》

 

《追記》

  本編で記したオルダス・ハクスリー(1894-1963)著『すばらしい新世界』(BRAVE NEW WORLD、1932年)は、青野由利氏は本編前掲書で紹介している。元村有希子・毎日新聞編集委員は著書『科学のミカタ』(毎日新聞出版、2018年)で「おわりに」のなかでハクスリーの本書をデストピア小説と示し真に『科学のミカタ』を教えてくれた。元村氏の同書は人間の未来に目を向ける。

 

  ハクスリーの『島』(ISLAND、1962年)はその続編とされるユートピア的小説であるが、訳者の片桐ユズル氏のハクスリー研究のたまものである。

 

  私はハクスリーの書物が存在するように『ゲノム編集について』も人間の叡知が授かる未来像があるものと信じたいと思う。