医療を必要としている人々のために何ができるかと考える医学者たちがいる。
4月22日の政府生命倫理専門調査会は遺伝病等の治療に係るゲノム編集の受精卵の改変の研究は容認の方向性で検討にはいる模様のようだ。
私が本ブログシリーズで問題の所在を綴ってきたヒト受精卵のゲノム編集である。ヒト受精卵のゲノム編集については、青野由利氏の前掲書(本編 上)をお読みいただきたい。
例えば、私たちの家族でゲノム編集の応用治療で遺伝病等が除かれることが明らかになってくれば、私たちの家族は治療の適用を求めるに違いなかろうし、そのような人々に同様な欲求は高まるだろう。そうした欲求は公開性と共に市場性を増すと考えられる。
だが、いわゆる「デザイナーベビー」が親等の強い欲求により、ゲノム編集で格付された(差別化された)子どもを誕生させ現代の民主主義社会が変容するといった状況が出現することが容認される時代へ進むことは人間というものの摂理に適うのだろうか。これは明らかに人間を変えるということであろう。これはオルダス・ハクスリーの前掲書(本編 上)の体現の予兆となろう。
2018年11月に中国でヒト受精卵のゲノム編集でHIVウイルスに抵抗性を持った双子を出産させた研究者が公になった。その時に私は2016年7月25日第一刷発行のNHK「ゲノム編集」取材班著『ゲノム編集の衝撃「神の領域」に迫るテクノロジー』(NHK出版)の序文を記された山中伸弥・京都大学iPS細胞研究所長がそこにそうした出来事を予期されていたことを思いだした。
私たちは、中国の研究者のように「なんでもやってしまう」研究者がいるということの認識がいるということである。
私のこの「中」の最後にNHK前掲書から山中伸弥先生の「序文」より、NHK抽出部分を引用掲載する。
「・・どんな科学技術でも、よい側面とよくない側面があります。諸刃の剣とでも言いましょうか。このゲノム編集というすばらしい技術のよい面だけを伸ばしたら、人類はますます幸福になることができると考えられます。しかし、よくない面を伸ばしてしまったら、後悔することにもなりかねません。
ほんの五年前までSFだと思われていた、人間の設計図を書き換えることが可能になりました。この新しい技術をどう使えばいいのか。科学者だけの議論では十分ではありません。科学者に加えて、生命倫理の研究者や一般の方々も含めた広い議論が必要だと考えています」(山中伸弥)。
(ひらた こうじ)<中・了>
《続く》