Twitterでお世話になった記者のコラムに少し所感を述べたい。
ツイ友・真鍋弘樹・朝日新聞編集委員である。同記者がNY支局長在任中にプライマリー・2016年大統領選挙でご高見をいただいた。2018年11月8日コラム【記者有論】『やさしい日本語 社会のため』は私にも思い当たる。
私が政府機関に就職した折、役所の政府委員室の年長の女性に「平田君。六か月よ。半年したら役所に染まってしまう。そしたらもう、他では使いものにならないから・・」。この指摘は文章一つとっても確かである。私が自分のamebloシリーズを読み返してみても問題とならないように難しい言葉運びや言葉を選んでいることがある。真鍋さんがコラム冒頭で「どうして、わざわざ難しい言葉を使っているのだろう」と入るのも無理からぬところではある。
真鍋さんは、記者として決して国際派ではないと言うが、本コラムを読むと、在住外国人と「やさしい日本語」について説き、評論と同時に提言である。もうこれは、前NY支局長として、アメリカ社会・多民社会を見つめてきたあかしだとも思う。私は真鍋さんのNYのセントラルパークのベンチに関するコラムを読んだのだが、新聞記者に実に多様な視点が要ることを教えられた。
逆に英語圏だとどうか。私が十数年前にカナダ・BC州を初めて訪問したときにウィスラー・マウンテン山上から、母校の当時の安西祐一郎・慶應義塾長にフリーメールを送り、そのお返事が極めて平易でよくわかる英語だったことを思いだす。わかりやすいことに嬉しくも安西哲学は感じたが少し恥ずかしくもあった。
ここに中国語圏のことも記すことも考えたが略すことにした。古事記から日本語の表記のなかった時代の成立等も記したかったがこれも真鍋さんのコラムの所感には離れるので略す。
真鍋さんのコラム【記者有論】の「やさしい日本語」の結語にあるようなら、国内では「・・やさしく日本語で話しかけてみませんか」というのが『多民社会』であるのではないか。
(ひらた こうじ)<了>
真鍋弘樹・朝日新聞編集委員(前NY支局長)
Photo via @HirokiManabe
(記者有論)在住外国人250万人 やさしい日本語、社会のため 真鍋弘樹:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S13759484.html